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木質の偽造ペレット工場

東方の二次創作SSです。いぢめ・グロ注意

歩け! イヌバシリさん vol.12(完)

※超絶オリジナル設定注意。
※一部残虐表現有り。

【人物紹介】

犬走椛:哨戒部隊の隊長を務める白狼天狗。大天狗にツッコミを入れられる貴重な存在。
    前回の保守派の一件で心境にある変化が起きた。

射命丸文:新聞記者の鴉天狗。椛の事を好いている。能力、頭脳ともに優秀で、多くの幹部から一目置かれている。
     現在は、守矢の発電事業について色々と探っている。

姫海棠はたて:鴉天狗の新聞記者。天魔の血縁者であるが、その事を本人は知らない。親友として椛の事を好いている。
       母親が何者だったのか、気になっている。

河城にとり:エンジニアの河童。二足歩行のロボットを作れる謎の技術を持っている。
      椛とは長い付き合いで、時折気にかけている。

大天狗:天狗社会の序列二位。独身。売れ残り。かつて、暗部を率いて天狗社会の治安を裏から支えていた。
    最近になり、暗部時代にしていた事を悔やむようになった。

天魔:天狗社会の序列一位。天狗社会の元祖ロリババア。剣を持って跳ね回るその姿は、某ジェダイ騎士のマスターを彷彿とさせる。
   はたてに、自身との関係を明かそうかどうか、悩んでいる。

【 episode.1 デンジャラスビューティ 】


大天狗の屋敷。
来月の行事が書かれた紙を貰いに来た椛。

「大天狗様いらっしゃいます?」
「あ、モミちゃん? いいよ入って」

襖越しに入室の許可を得て、彼女の私室に入る。
長い髪を後ろで結い上げた妙齢の女性、大天狗は、和紙に必死に何かを書き込んでいた。

「なにを書いてるんですか?」
「お見合い写真に添えるプロフィール」

椛は紙面をのぞき込む。

「趣味・特技の欄に『茶道・生け花』って書いてますけど、大天狗様がソレやってるの一回も見たことないんですが?」
「過去に少し嗜んでいたわ」
「昔、藤の木を外法で触手生物に変えた事を言っているのなら書き直してください」
「え? あれ生け花にカウントしちゃダメ?」
「暴走してコッチが苗床にされそうになったのをお忘れですか?」
「ちぇっ」

紙をクシャクシャに丸めて捨てて、新しい紙を出す。

「じゃあ何書けばいいのかしら?」
「乗馬とかどうです?」
「あーいいわねそれ。書いとこ」
「あと弓とか」
「好き好んでやらないし、そんなに命中率良くないわよ? 趣味や特技って言える?」
「でも25貫の超強弓を引けるのは特技じゃありませんか?」
「全然嬉しくないんだけど」
「世の中には25貫引きたくても引けない子が大勢いるんですよ」
「大勢いないわよ」

けれども、一応書いておくことにする。

「あと居合の腕もすごいじゃないですか? 全流派の免許皆伝してるんでしたっけ?」
「まあね」
「手刀で唐竹割れますし。空手十段でしたっけ?」
「十五段」
「火縄銃などの火器の扱いも詳しいですし、一瞬で整備して組み立てちゃうじゃないですか?」
「そうね、一応、河童からの認定証貰ってるわね」
「確か研ぎ師の資格も持ってましたよね?」
「そういえば持ってたわ」
「あと他にも…」

数分後、椛の意見を取り入れた趣味特技欄を見返す。

「恐ろしいくらいに殺しの才能を前面に出した自己紹介文ですね」
「悪の組織に出す履歴書なら一発で受かるわね」

見れば見るほど、書き直したくなってくる。

「天狗社会なんて余所から見たら悪の組織と大差ないんですから、この内容で良いんじゃないですか?」
「ちょっと何言ってんのこの子」

結局書き直す事になり、今度は真面目に内容を考え、なんとか完成させた。




「ところで、夕方に記念撮影あるのは知ってるわよね?」

時計を見ながら大天狗は言う。

「分かってます」
「今日の撮影は、どの時期に誰が隊長をしていたのかをちゃんと記録しておく意味もあるんだから、すっぽかしちゃ駄目よ?」

天狗社会の慣わしとして、その期の隊長を務めた者は、集合写真を撮る事になっており、今日がその日だった。

「しかしモミちゃんが隊長になって一年半経つわけか」
「あっという間でしたね」

隊長職の任期は二年。二年を一つの期として数えている。

「来期も隊長職を続けるの?」
「どうしましょうかね。平隊員に戻るのも良いかもしれません」

任期を迎えた後、本人が希望すれば隊長職を返上することが出来る。
最も、返上する隊長は稀で、怪我や高齢、転職など、余程の事がない限りは隊長職を継続するのが常識だった。

「来月には継続の手続をするための書類が送られるから、それまでに決めておきなさい」
「わかりました」

大天狗は壁にかかった時計を再び見ると、何やら逆算を始めた。

「まだだいぶ時間があるとはいえ、普段は全然着飾らないんだから、今の内から準備しておいた方が良くない?」
「準備?」
「おめかしよ。まさかその格好で写る気?」
「そのつもりですが?」
「なんで?」
「なんでって、服装は自由だと仰ったじゃないですか」
「…」

大天狗は口を開けたまましばらく固まった後、おもむろに立ち上がり、部屋の襖を開けて、従者を呼びつけた。

「良い、今からモミちゃんの詰所に行って…」
「はい………はい………かしこまりました」

二、三、言葉を交わして従者を送り出した。

「従者さんと何を話していたのですか?」
「内緒」
「そろそろ詰所に戻りますね」
「あ、待ってモミちゃん」
「なんですか?」
「ヒマだから、もう少しお喋りに付き合ってよ」
「まぁ別に構いませんが」

引き止められ、彼女の雑談に付き合った。






「その時に小天狗の孫が言った言葉がまた傑作でね」

取留めの無い話が始まって、かれこれ三十分が経過する。

「あの、大天狗様そろそろ…」

気が滅入って来たので、退室を希望する。

「そうね。これだけ稼げれば十分ね」
「十分?」
「こっちのコトよ、気にしないで。ところでモミちゃん。最後にあと一個だけ」

僅かに大天狗の雰囲気が変わる、今までしていた雑談とは明らかに違う空気を感じた。

「なんですか改まって?」
「ここ最近、妙なこと考えてない?」
「妙とは?」
「この前の、保守派壊滅の一件以来、態度や言動はいつも通りなんだけど、なんか雰囲気が違うのよねぇ」
「雰囲気ですか?」
「なんか私と同じようなモノを抱えているような気がしてね。まぁ気のせいなら良いのよ」

それを伝えてから、椛を送り出した。
















椛が大天狗との雑談を終えた頃。
哨戒部隊の詰所。

「暇ね」
「そうっスね」

詰所の最奥にある座敷。そこの壁に女性隊員二人が背中を預けていた。
入口付近は男性隊員が大勢たむろしているため、この場所で過ごすのが二人の日課になっていた。

「文さんやお嬢が差し入れ持って遊びに来てくんないでスかねぇ」

“お嬢”とは、姫海棠はたての愛称である。いつの間にか彼女はここではそう呼ばれるようになっていた。

「新聞大会も近いみたいだし、当分はそっちに掛かりきりになるんじゃない?」
「そんな。お嬢が持ってくるお菓子だけがアテの唯一の楽しみだったのに…」
「どんだけ娯楽がないのよアンタ」
「ところで姉貴は何やってるんスか? 爪に妙なもの付けて」

この二人、実の姉妹ではないが、幼い頃からの知り合いで、姉貴分と妹分の間柄だった。

「ヒマだし、昨日買ったマニキュアを試してるのよ。塗ってみる?」
「アテにはドーモそのオシャレってヤツの必要性が感じられません」
「アンタももう良い歳でしょう。そろそろ髪伸ばして、化粧くらい覚えたらどう? 遠くから見たら男と区別つかないわよ?」
「放っておいてくだ……ん?」
「どうしたの?」
「なんかそこの床が動いたような」

二人の視線が畳に注がれた時だった。

「おいっす椛! 要望してた道具が出来たよ!!」

畳が跳ね上がり、河城にとりが顔を出した。

「河城の姉御!? どこから出てきてんでスか!?」

隊員達の驚愕など意に介さず、にとりは座敷の上に這い出る。
彼女が出て来た穴はずっと地下までつながっていた。

「なんですかこの穴?」
「先日、地下工房を拡張しようと思って掘ってたら偶然ここの真下を通ってね。せっかくだから繋げておいたんだ」
「どこからツッコんで良いのかしら?」

なぜ地下工房を拡張する必要があるのか、どうやって掘ったのか、なんで繋げようと思ったのか、疑問は尽きない。

「それで椛は?」
「隊長なら今、大天狗様の所っスよ」
「なんだ。せっかくオーダーの品が完成したから持ってきたのに」

にとりはリュックを漁ると、柔らかい棒状のものを一本取り出した。

「捕縛用アイテム『トリモチ・セイバー』。自信作だよ」

蜘蛛妖怪が作り出す粘着性の高い糸を人工的に精製する事に成功したにとりは、それを一本の棒に加工した。

「触れた相手に貼り付いて、お餅みたいに伸びて徐々に身体の自由を奪うんだ」

相手を効果的に無力化できるものはないか、という椛の声を、にとりが形にしたものである。

「へー、これなら相手の武器を奪ったりもできて便利ですね」
「そうでしょ? あと、まだ試作品なんだけど、これを網状にして発射する『トリモチ・シューター』っていうのを…」

「失礼致します」

しゃがれた声にも関わらず、その声は詰所の端まで響いた。
入口で老いを感じさせる風貌の男性が、恭しく頭を下げていた。

「従者さんじゃないですか!? ど、どうぞ! 上がってください!」

彼が顔を上げた瞬間、休憩中だった者までもが背筋を伸ばし、機敏に動きだす。

「ささっ、こちらへ!! おい早く座布団! 一番良い奴!!」
「なぁこの玉露ってやつ使っていいのか!?」
「馬鹿野郎! 今使わずに何時使うんだよ!!」
「茶菓子何処だよ! 湿気った煎餅なんて出せねぇだろ!!」
「そこの床板を外せ! 隊長秘蔵の菓子があったハズだ!!」

驚異の連携で彼を持て成す準備が整っていく。

「ねぇ、なんで従者さんだけあんなに対応が違うの?」

にとりが近くにいた短髪の女性隊員に尋ねる。
ゴロツキ上がりの連中が、大天狗の世話係にここまで平身低頭するのが謎だった。

「あの大天狗様と四六時中居て胃潰瘍にならない鋼の精神、超ワガママなあの方の機嫌を損ねさせない思慮深さ。敬うなという方が無理っスよ」
「あー、確かに」

そうこうしている間に、散らかっていた詰所の中は綺麗に整頓された。

「皆さんお忙しい時に大変申し訳ありません」
「とんでもありません。今日はどうなさいました?」

彼を応対したのは、内勤が主な業務の少女だった。礼儀作法を碌に知らない男共では粗相があってはいけないと、立候補した。

「大天狗様から犬走隊長宛てに、こちらを預かっておりまして」

藍染の風呂敷を広げると、丁寧に折られた着物と小箱に纏められた化粧道具一式が出てきた。

「本日の夕方、隊長職の方が集まって記念写真を撮る恒例の行事があるのですが、犬走隊長は普段の衣装で参加するつもりらしく…」
「普通、そういう場では正装ですよね?」
「そうなんですが、表向きは自由な服装で構わないという事になってますので」

ここまで言われて、大体の事情を察した。

「わかりました。なんとか隊長にこちらを着せて、会場まで向かわせます」
「大変かもしれませんが、よろしくお願い致します」

従者を丁重に見送ってから、彼が置いて行った風呂敷を一同は取り囲む。

「めかし込んだ隊長か、ちょっと見てみたいな」
「そうだな。案外、ノリノリで着たりしてな」
「いや。椛ってお洒落アレルギーだから、こういうのは絶対に着ないと思う」

にとりは渋い顔で、楽観視する男性隊員達に告げた。

「なんですかその面白い症状は?」
「椛は自分の給料の三分の一以上する値段の、着物や小物を身に着けると蕁麻疹が出る」
(なんでだろう。その光景がすごく容易に想像できてしまう)

全員の脳内に高価な装飾品を身に着けた瞬間に泡を吹いて倒れる椛の姿が簡単に浮かんだ。

「じゃあどうやって隊長に着せるよ? 説得できないなら実力行使しかないぞ?」
「とんでもねぇクエストを受注しちまったな」

最悪の場合を全員が想定し始める。

「お茶に痺れ薬でも混ぜてその間に着せちまうとか?」
「普段なら最低な発想だと罵るが、隊長にはそれくらいしないと無理だろうな」
「臭いでバレるだろ?」
「というか効かなかったわ」
「っ!?」

不穏な発言をした者に一斉に視線が向く。
発言者は女性の隊員。隊が発足して間もない頃に、文に椛を性的に狙っている事を告げてロメロスペシャルを喰らった過去を持つ。

「ずっと前に、夜勤で隊長と二人っきりになる時があってチャンスだと思って実行したんだけど、平然としてたわ」
「なにやってんスかお前?」
「そういえば椛、幼い頃、訓練の一環で食事に少量の毒を混ぜて身体を慣らしたって話をしてたなぁ」

その時は、酒の席での冗談だと思っていたが、今になり真実だと知る。

「どんな幼少時代でスか? しかし、そうなると残った方法は一つ」
「早速私の発明品の出番だね!」

にとりが自分のリュックをひっくり返すと、白い棒がザラザラと何本も出て来た。













大天狗との雑談を切り上げて詰所に戻ってきた椛。

「今帰った、ぞ?」

詰所の戸に手をかけた瞬間、不穏な気配を感じ、体を半歩引いてから、いつもと同じ速さで戸を開ける。

「隊長! 覚悟!!」

上段で振りかぶる隊員。椛は彼が振り下ろすよりも先に、足払いで彼のくるぶしを叩く。

「ぐおっ!」

よろけた所ですかさず襟を掴み、巴投げの要領で後方に放り投げた。

「今の場面は上段ではなく突きだ。狭い場所での不意打ちは刺突の方が成功しやすい」

いつも剣術勝負を挑んでくる青年にそう助言してから戸を閉め、彼を外に締め出した。

「アイツめ、とうとう不意打ちするようになったか…………お前たちどうした?」

詰所に帰って来て、雰囲気がいつもと異なることに気づく。

「何かあったのか? というか、お前たちが持っている棒はなんだ? あいつも持っていたようだが?」
「…」

視線を向けられた隊員は気まずそうに顔を逸らしつつ、背中で棒を隠す。
事前の打ち合わせでは、今ここで集団で飛びかかる手筈なのだが、全員が怖気づいてしまっていた。

「なんなんだ一体?」
「あのね椛、実は大天狗様から~」

見かねたにとりが、先ほど大天狗の従者が来て椛のための着物を置いて行ったことを伝えた。

「そういう事だったんですか。それならそうと言ってくれれば良かったのに」

呆れたと言わんばかりに大きなため息をつく。

「驚かせて悪かったね。じゃあ早速あれに着替え…」
「さて、急用を思い出した」

素早く身体をターンさせる。

「チョッ、どこ行くんスか隊長!?」
「そろそろ教会へ礼拝に行く時間だから」
「いつからクリスチャンになったんスか!! おい男子ども止めろ!!」

彼女の呼びかけに答え、四人の隊員が動く。この四人、隊の中でも上位の腕前を持つ猛者たちである。

「まぁまぁ、隊長。せいぜい小一時間の我慢じゃないですか?」
「そうですって、晴れの日に女性が着飾るのなんて普通の事だと思いますよ?」

厳つい顔に屈強な身体の四人が、扉の前を固め通せんぼする。

「        どけよ         殺すぞ          ?   」
「…」

四人は両端に寄ると。

「いってらっしゃいませ」

一流ホテルのドアマンのような優雅な身のこなしで戸を開け、腰を直角に曲げた。
開けられた戸から椛は悠々と外へ出た。

「くぅぅおぉらぁぁ男子共! 何やってんスか!!」
「無理、絶対無理だってあんなんっ!!」
「ネコ科みたいに眼がすんごいギラギラしたんだぞ!」
「これから誰かを殺りに行く眼だよあれ」
「手の震えが止まらん」

「その図体は飾りっスかバカぁ!!」

にとり達が詰所の外に出た時には、椛の姿はどこにもなかった。











話し合いの結果、にとり達はそれぞれの班に分かれて椛を探すことにした。

「あの針葉樹林の方から隊長のものと思わしき足音が」

にとりが同行するのは、聴覚の優れた隊員を中心に編成された班だった。

「ねえ、あの小屋は?」

双眼鏡で針葉樹林を見ていたにとりは、林の中にポツンと佇む家屋を見つけた。

「ウチの隊が管理している備品倉庫です。武器とか色んな資材が保管されています」
「鍵が開いてるように見えるんだけど」
「え?」

近づき、中を検(あらた)める。道具が持ち出された形跡がった。

「椛なら当然、ここの開け方を知ってるんだよね?」
「はい。だからこれはきっと隊長の仕業かと」
「それじゃあここから先は用心して進まないと」

にとりの頬を冷や汗が伝う。

「どういう意味ですか?」
「ちょっと下がってて」

にとりがリュックに備え付けられているスイッチを押す。
すると、地面に三つの丸い穴が開き、そこから三体のヒグマを模したロボットがせり上がってくる。
ロボットは全てにとりの手製である。

「この辺も地下工房の真上だからね、少し弄らせてもらったんだ」
「地盤沈下が起きたら、間違いなく姉御のせいですからね」
「よし、進撃だよ!」

にとりの号令で、ヒグマロボ達は前進を始める。

「ニゲチャダメダ、ニゲチャダメダ、ニゲチャダメダ」
「アナタハシナナイワ、ワタシガマモルモノ」
「グーテンモルゲン」

しかし、踏み出して数秒で、ヒグマロボは三機とも行動不能に陥った。

「シラナイテンジョウダ」
「ワタシガシンデモ、カワリハイルモノ」
「アンタバカァ?」

落とし穴に落ちるロボ、網に捕えられるロボ、足に絡まったロープで逆さに吊るされるロボ。
全て、何者かが仕掛けた罠の餌食となった。

「これは一体?」
「椛、折り紙で鶴を折る感覚で罠作っちゃうからなぁ」
「あれ全部隊長の仕業ですか?」
「椛は地の利を生かす天才だからね。五分あればイノシシを、十五分あればヒグマを、三十分あれば一個師団を迎撃する罠を仕掛けられるよ」
「マジですかそれ」

慎重に慎重を重ね、彼らは椛の痕跡を追わざるを得なくなった。







間伐がろくに行われていない、針葉樹が密集する林の中。

「まぁこんなもんか」

木に足を掛けて、括り付けた縄の端を引っ張る椛の姿があった。

「御機嫌よう。イヌバシリちゃん」

背後から掛かる声に椛は驚くが、それを挙動に表わすことなく作業を続ける。

「いつも突然現れますね」
「神様は神出鬼没なのよ」

鍵山雛はスカートの裾を摘まんで、仕掛けられた縄や虎ばさみを跨ぎながら椛のもとまでやってくる。

「籠城するほど悪いことしたの?」
「いえ、別にそういうワケじゃないんですが」

事の顛末を話す。

「フフッ、それで逃げてきたの?」
「他人事だと思って」

笑いを堪える雛を見て軽くふて腐れる椛。

「良いじゃない。たまには可愛い格好したって」
「分不相応です。猫に小判だ」
「そうかしら? 素材は良いと思うわよ。ダイヤの原石かも?」
「良くて玄武岩です」
「あの素直で純粋だった白狼天狗の女の子は、一体どこへ行ってしまったのかしらね?」
「色々と経験しましたからね、そりゃあ捻くれもしますよ。私がどれだけ残酷な事をしてきたか、ご存じでしょう?」
「ああもう、全く」

雛が椛に肩を寄せる。
その直後、椛は全身に悪寒が走った。彼女の身体から見えない何かが漏れ出すのを感じた。

「今、何を…」

本能的に跳び退る椛。
椛が着地した瞬間、彼女がたった今結んでいた縄が切れ、罠が誤作動を起こす。

「うわっ!!?」

地面から出現した網に捕えられてしまう。

「ああああ!! やっと見つけたぞ椛ぃぃ!!」

そして最悪のタイミングでにとり達がやって来た。
道中、椛が仕掛けた罠を苦労して掻い潜ってきたようで、全員が泥だらけだった。

「こうなったら観念して彼らに捕まるしかなさそうね」
「貴女の仕業ですか?」
「さぁ、どうかしら?」

微笑み、椛の肩に指先を当てる。

「罪滅ぼしなんて馬鹿な考えは止めなさい」
「何の話ですか?」
「ここまで逃げて来たのも、気恥ずかしさの他に、自分のような咎人が煌びやかに着飾るなんておこがましいと心のどこかで思ってるからでしょう?」
「…」

椛は答えない。

「否定しないって事は、図星って事?」

椛が溜め込んでいた厄には、後悔の念が多く混じっていた。
ダム騒動の時には、こんなものは全く含まれていなかった。

「復讐する相手がいなくなったら、今度は贖罪に走るなんて、厄いにも程があるわよ?」
「贖罪なんて御大層なものじゃありませんよ。ただ、こんな自分に相応しいと思える生き方を選んでいるだけです」
「強いのね、貴女は」
「弱いですよ私は」
「芯の強さを言ってるのよ。過ちも罪も業も全部認めて、背負って進んで行こうなんて。誰もが出来ることじゃないわ」

喋っている間、雛の指先から椛の溜め込んでいた厄が吸われていた。

「でもそんな考えを持つようなら、自分本位で生きていたあの頃の方が幸せだったかもしれないわね。あの二人に出会う前の貴女の方が」
「それは違います。彼女たちが私を支えてくれたからこそ。私は、自分の過去とちゃんと向き合えて、前に進むことが出来たんですから」

その頃よりもマシになれていると椛は思う。

「それなら自分が幸せになることを優先しなさい。せっかく前に進めても、そんな心構えじゃ。あの二人があまりにも報われないわ」

雛が指を離し、数歩後ろに下がった。彼女の周りには今吸ったばかりの厄が漂っている。

「貴女は自分を受け入れて、ちゃんと向き合えた。だから早く次の段階に進みなさい」
「次の段階?」
「自分を許す、それが貴女が次にすべき事よ」
「それが出来れば、苦労はしません」
「割り切ればいいじゃない。得意でしょ? 自分と折り合いをつけるのが」
「私だって何度も自分に言い聞かせました。でも、どれだけそう思っても、ココが納得してくれないんです」

胸に手を当てて苦しそうな顔をした。



「雛が捕まえてくれたんだね」

ようやくにとり達がすぐ近くまでやって来た。

「本当に助かったよ」
「お安い御用よ」
「なんてお礼を言ったらいいか」
「いらないわよそんなの。その代わり、うんと可愛くしてあげてね」
「任せてよ!」

にとりは胸を叩き、自分の罠に掛かっている椛を見る。

「これ以上逃げないでよ椛。ここに来るまで冗談抜きで死にかけたんだから」
「こうなっては降参です。煮るなり焼くなりご自由に」

誤作動した罠から自力で逃げられそうにないため、椛は観念した。















詰所に連れ戻された椛は、にとりと女性隊員数名に囲まれる。

「動かないでください」
「テキトーで良いぞ」
「駄目です。みっちりやらせていただきます」

椛の前には、大天狗が用意した化粧道具の他に、女性隊員の私物の化粧品も並んでいた。

「集合写真に普段の格好で行くとか何考えてるんですか?」

椛の正面に座る女性隊員が、パフを顔にあてがいながら、呆れた口調で言う。
ちなみにこの時、男の隊員は全員外に追い出されている。

「別に良いだろう。何か不都合があるわけでもない」
「貴女は私達の自慢の隊長なんですから、私達に恥をかかせないでくださいよ」
「……すまない。軽率だった」

自分の思慮の浅さを恥じた。

「良い部下を持ったね椛」

嬉しそうににとりが笑う。

「早く終わらせてくれ。くすぐったくて敵わん」

なんだか背中がムズかゆくなってきて部下を急かす。

「七五三の子供じゃないですから、我慢してください」
「ねーこれ使いましょうよ。秋の新作」
「サンセー、隊長って肌白いから絶対ソレが合うと思う」
「隊長って化粧するにしても、いつも薄いから、一回こうしてガッツリやってみたいと思ってたんですよ♪」
「お前たち、まさか私を着せ替え人形にするつもりじゃないだろうな?」

和気藹々とした雰囲気で、椛の化粧は進んでいった。







数人がかりという事もあり、化粧の時間はそれほど掛からなかった。

「ばっちりです。濃すぎず薄すぎずの程よい感じに仕上がりました」
「隊長、目が大きんで、どうするのが一番良いか悩みましたよ」
「髪、整いました」

化粧が終わると、次なる難所がやってくる。

「ほいじゃ椛、これ着て」

白と朱色で彩られた着物を、にとりは掲げる。

「大天狗様と従者さんが、どれが隊長に似合うか吟味に吟味を重ねて、選んだものだそうです」
「これは強敵だな」

一目でわかる高級感に、椛は固唾を飲んだ。





詰所の外。

≪はぁぁぁ!!≫
「っ!?」

外で待機していた隊員たちの耳に、気合の籠った椛の掛け声が届き、反射的に背筋を伸ばす。

「隊長のあんな気合が入った声、訓練でも聞いたことねーぞ」
「ああ」










再び詰所内。

(なんか呪われたアイテムを装着したみたいになってる)

袖を通してすぐ、小さく痙攣する椛を見ながらそう思うにとり。

「大丈夫ですか?」
「へ、平気だ。早く帯を…」

こうしてゆっくりと、しかし着実に着付けが行われた。
そしてついに、その瞬間がやってくる。

「出来ました隊長。装着完了です。お疲れ様でした」
「わー」

女性陣が小さく拍手をする。

「似合ってますよ隊長」
「お美しいです」
「くるって回ってみてください」
「こ、こうか?」

ペンギンのようにペタペタと、身体を揺らしながら回る。

「……うわぁ」
「普段、アシダカクモみたいに跳ねまわる方と同一人物だとは到底思えない」
「千年の恋も冷めるわよこれじゃあ」
「お前たちなんだその目は? 回れと言われたから回ってやったというのに」
「色気がねーんでスよ色気が! もう少しおしとやかに振舞えれば完璧なんスから!」
「お前にだけは言われたくない。言っとくが、隊が発足して半年くらい、お前を男だと思っていたからな?」
「マジっスかそれ!?」
「でも隊長、もうすこし優雅さがないと、せっかくの着物が映えませんよ?」
「そんな腹の足しにならんモノは、とうの昔に捨ててきた」
「では。賭けをしましょう」

別の女性隊員がそう切り出した。

「賭けだと?」
「そうです。これから入って来る男をドギマギさせれば隊長の勝ち、出来なければ我々の勝ちです」
「賭けと言ったが、一体何を賭けるんだ?」
「負けた方が勝った方にご馳走する、というのはどうでしょうか?」
「私が負けたらお前たち全員に奢るという事か」
「隊長が勝てば、私たちが一週間日替わりで手作りのお弁当をご用意致します」
「良し、いいだろう」

椛は賭けに合意する。

「まあそのご様子じゃ、勝負は決まったようなものですけど」
「言ったな? どうやら私の本気を知らないようだな」

軽い跳躍の後、椛は肩を回す。訓練を始める前にする準備運動と同じ動作だった。











「やっと終わったか」
「女の化粧ってなんでこんなにも長いんだ?」

終わったという知らせを聞き、男性隊員達がぞろぞろと中に入って来る。
奥の座敷。膝の上に指を揃えて正座する椛の横顔を見た彼らは、入口を潜ってすぐの所で、思わず足を止めてしまう。

(こいつぁ一体)

着る物一つでこうも変わるのかと面食らう。

「どうっスかね男共?」
「私らの本気よ」

椛を飾った女性隊員がふんすと鼻を鳴らす。
化粧の効果で表情が普段よりも朗らかに見え、着物も完璧に着こなしており、どこかの令嬢だと紹介されれば、そのまま信じてしまいそうになる。

「ま、まぁ良いんじゃないか? なあ?」
「お、おう。馬子にも衣装とはよく言ったもんだ」

男性隊員達は挙動不審になりながらお互いの表情を確認しあう。

「お前顔が赤いっスよ? 隊長にガチ惚れしたんスか?」
「ばっか! ちげーし!! 待ってる間ヒマだから素振りしてたせいだし! 俺よりコイツの方が赤いし!!」
「はぁ!? 赤くなってねーし普段からこんなんだし!! てか俺なんかよりそいつスンゲーきょどってるから! 怪しくね!?」

煽り合いが起きる。

「思春期真っ只中の学生スかアンタら?」

軽く呆れる。

「じゃあお前、隊長に普段みたいに話しかけて来いよ!」
「余裕だよんなもん!!」

煽り合いの末、ひとりが椛の元へ向かう。いつも椛に剣術の指導と称して戦いを挑む青年である。
座敷に正座する椛は静かに彼に視線を向ける。

「えーと、隊長?」
「なにかご用でしょうか?」
「っ!?」

いつもとは違う柔らかい口調と、未だかつて向けれることがない微笑みが隊員の胸を殴打する。

(これ本当に、いつも俺を打ち負かしてる人だよな?)

顔立ちが同じだけの別人に見えた。

「外はお寒いでしょう? どうぞこちらに。楽にしてください」
「あ、いえ、その、し、失礼します」

椛に促され、彼は下駄を脱ぎ正面に座る。

「あ、あのーですね」
「ハハッ」
「隊長?」

手の舞い足の踏む所を知らず、な状態になっている彼に苦笑し、足を崩し楽な姿勢をとる椛。

「ちょっと着飾って態度を変えただけで、大の男がそんな余裕のない顔をするなよ」

胡坐をかき、頬杖をつく。
口調も顔つきも、彼が知っている彼女に戻っていた。

「もぉー勘弁してくださいよ隊長。全然別の人かと思って、焦ったじゃないですかー」

安心して胸を撫で下ろす。

「ああ、すまない。一生に一度、着るか着ないかの服だからな。ちょっと気分を味わいたかった…おっと」

慣れない衣装で足を組み替えようとしたのか、椛はバランスを崩す。

「大丈夫ですか?」

床に突っ伏っす寸前で、隊員に支えらる。

「高そうな服なんだから、汚したらだめですよ?」
「なぁ」

支えてくれている彼の袖をキュッと掴む。

「普段の私はそんなに、女としての魅力が無いのだろうか?」

か弱い声。
潤んだ瞳と上目づかい。
唇に薄く引かれた紅。
鼻腔をくすぐる香のかおり。
袖から伝わる彼女の震え。

「…」

味覚以外の彼の五感が、すべて椛に釘づけになる。

「あいつ堕ちたわね」
「ええ」

その光景を傍から見ていた第三者達は確信する。

「すげぇ、あざといってモンじゃねぇっスよアレ」
「警戒していたアイツの緊張を解し、完全にノーガードになった所に本命をぶつけて来たわね」
「女に理想を求める男のツボを、ピンポイントだわ」
「花魁も顔負けね」

冷静に椛の動きを分析する女性隊員たち。

「隊長!!」
「うおっ!?」

感極まった彼。

「ずっとお慕い申っ…」
「甘い」
「ふぐぅ」

椛の三角締めが極まり、脳への酸素と血液を遮断された彼は、数秒後に失神した。

(すげぇ椛。あの動きにくい服で完璧に寝技をこなしてる)

気を失った彼は、他の隊員に引き摺られて回収された。回収される最中、他の男性隊員に何度も蹴られていた。

「賭けは私の勝ちで良いか?」
「はい、おみそれしました」

女性陣は深く頭を下げる。結果的には彼女らの目論み通りなので、悔しさはない。むしろこうなってくれた事を喜んでいた。

「ささっ、雰囲気も身に着けたようですし、会場に向ってください」
「そうだな、少し早いが行くか」

風呂敷の中にあった、刺繍の入った漆塗りの厚底草履に足を置く。

「それじゃあ行ってくる」
「お気をつけて」

見送られ、慣れない足取りで外に出た。







「こんなのを履いてたら、交戦になった時、ロクに動けないな」
「今くらい、そういう考えは捨てなよ」

隊長職が集まる場に平隊員は行き辛いということで、にとりだけが椛に同行する。

「にしても驚いたよ。あんな椛初めて見た」
「任務で遊女の真似事をした事がありまして、多少の作法なんかは、仕込まれましたから」
「…」

困った顔で笑う椛に、にとりはどう反応して良いかわからなくなる。

「ちなみに琴や琵琶、横笛もその際に教わったので、簡単な演奏ならまだ出来ますよ」
「それ初耳だよ椛!?」

長い時間友人をやっているが、まだまだ知らないだらけなのだとにとりは気付く。

(きっと、もっとあるんだろうな。知らない事が)

そんな時ふと、過去にダムの前でしたやりとりを思い出す。

(いつか、語ってくれると良いな)

椛に、気持ちの整理がついてからで構わないから、ダム建設の裏で何が起きていたのか話して欲しいと頼んだ事があった。
頼んだのは一年ほど前で、約束として正式に結んだワケではないが、確かに椛は頷いてくれた。
その日が来てくれる事を、待ち遠しく思った。








無事、会場に到着するが、定刻まで時間があるせいか、姿を見せている隊長職はまだ数名だった。

「大天狗様がどこかにいると思うので、探してお礼を言ってきます」
「じゃあ、私はその辺で時間潰してるよ」

ここで別れるのも中途半端だと思い、終わるまで待つ事にしたにとり。
この会場は普段から開かれている公共の場であるため、河童が出歩いていても別段違和感はなく、椛と別れた後でも、堂々とぶらつけた。
途中、待合所の札を見つけ、入ってみることにした。

「失礼しまーす」

休憩所の戸を開ける。
中には一人、先客がいた。紋付き袴で、座禅を組んでいる、ずいぶんと体躯の恵まれた白狼天狗の男だった。
にとりの声に反応して男は目を開けた。

「おや、貴女でしたか」
(あれ? この人って確か)

目の前の白狼天狗には見覚えがあった。

「その節はご迷惑をおかけしました」

足を組んだまま、両手を畳につき深々と頭を下げる。

(やっぱり、あの時の白狼天狗さんだ)

以前、椛に真剣勝負を申し込んだ白狼天狗の男性だった。そのガタイの良さは嫌でも記憶に残っていた。

「気にしないでください。二人とも無事だっただけで、もう十分です」
「そうはいきません。この命、貴女に救われたも同然」

額を畳につける勢いで、さらに頭を下ろす。
椛が彼を堅物と呼んでいる理由がわかった。

「あ、頭を上げてくださいって」
「しかし」
「良いですから、本当に」

なんとか頭を上げさせて、用意されている座布団に座る。
にとりが備え付けの薬缶に手を伸ばすと、男は目を閉じて座禅を再開させた。

「…」
「…」

お互い、無言のまま時間が過ぎていく。

(なんだこの空気、すごく重い)

体躯の大きな彼から感じる圧迫感と威圧感のせいで、まったく気が休まらない。

(高級なはずの茶葉や菓子の味が全くわからない)

時間が来るまでここを喫茶店代わりにしようと考えていた自分を恨めしく思った。

(それにしても本当に大きいな。椛が『本当はカラクリなんじゃないか』って言ってたのもわかる気がする)

椛と同じ種族だというのが、にわかに信じられない。

(背中にスイッチとかないよね?)

首を伸ばして覗き込む。

「なにか?」
「あ、いえ。羽虫が飛んでいたので気になって」

咄嗟にごまかす。

「あの、それだけ大きいと、着る服とか特注にしないといけないから大変ですね?」

これをキッカケにして会話を試みる。

「いえ。それほどでも」
「そうですか」
「…」
「…」
(終わっちゃったよ会話!? え? なに? ひょっとして話しかけられて迷惑だった?)

もう一度話しかけて続かなければ、二度と干渉しないと誓い、再度声をかける。

「大きくなる秘訣とかあるんですか? 子供の時から食べ続けた物があったり?」
「スギとヒノキの皮を煮込んだ汁を毎晩寝る前に」
「えっ!?」
「冗談です。ウチはもともと体が大きくなりやすい家系のようで」
(冗談かい!?)

ますます困惑するにとり。

(本当になんなの!? わからない、この人がコミュ障なの? 私が悪いの?)

頭を抱えたい気持ちでいっぱいな時、襖が雑に開けられる。

「あらま、珍しい組み合わせね」

姿を見せたのは大天狗だった。
場の空気が一気にほぐれるのを感じた。

「あれ? 椛とは会いませんでしたか?」
「モミちゃん来てるの?」
「大天狗様からお借りした衣装での晴れ姿をお見せしようと探してましたよ」
「ちゃんと着てくれたのね。良かったわ」
「あの犬走が?」

男は驚愕し、口を手で覆う。

「そんなに意外?」
「無縁だと思っていましたから」
「確かに。椛って他の白狼天狗とはだいぶ違うもんね」

にとりは出会ったばかりの頃を思い起こす。

「協調性があんまりなくて。そこらの仲間より強いのに、出世したい、認められたい、褒められたいっていう素振りを全然見せなかったもんなぁ」

誰しもが持つであろう名誉欲や承認欲求を、椛はまるで持ち合わせていなかった。

「昔から仲間の内でも、犬走は異端扱いされていましたからね」
「やっぱりそうなんだ。まぁ白狼天狗だって大勢いるんだから、一人くらい変わり者がいたって…」
「あの子だって、元々は、多分、普通の白狼天狗の女の子だったはずよ」

聞いていた大天狗が会話に混ざる。

「あの子をあんな性格にしたのは、私達上層部なんじゃないかって、時々思うわ」
「どういう事ですか?」
「協調性が無いのは、骨が折れて痛いと訴えても、病に侵されて苦しいと縋っても、誰も聞き入れてくれなかったから」

都合など一切考慮せず、任務に駆り出した。使えないと判断したら、その場で捨て置いた。

「出世したいとか、褒められたいって感情が無いのは、昔、命懸けで戦って築いた功績を、私たちが同胞殺しと貶し、罵り、穢れたモノとして扱ったからだし」

その評価が、椛から誇りを奪い。他人からの評価が無価値なものだと潜在意識に刷り込んだ。

「理不尽な環境でも生きていけるよう、心が適応した結果が今のあの子よ。捻くれるなって方が無理よ。コイツみたいな例外もいるけど」
「失敬な。俺だってこれでも昔に比べかなり歪みましたよ」
「あーないない。アンタは今も昔も糞不器用なままよ」

手を振って、彼をあしらう。

「最近のモミちゃんは、白狼天狗としての気持ちを取り戻そうとしてるのか。なんだか危なっかしいのよね」

その言葉の意味がなんとなくだが、にとりも共感した。大天狗の言うように、ここ最近の椛には何か不安定なものを感じていた。

「これから先、あの子が幸せになれるか、なれないかは、多分この時期に決まると思うの。だから支えてあげてくれない?」
「はい、必ず」
「及ばずながら俺も…」
「アンタは関係ないでしょうが」
「ぬぅ」

そんな時、休憩室に新たな来訪者が現れる。

「こちらにいらっしゃいましたか大天狗様」

噂されていた椛が、ひょっこり顔を出した。

「おー似合ってる似合ってる」

大天狗が親指を立てる。

「やっぱモミちゃんにゃその色が似合うわ」
「着てるっていうよりも、着せられてるって感じですが」
「大丈夫。ちゃんと着こなせてるわ」
「わざわざ用意して貰って、なんとお礼を言っていいか」
「気にしなくていいのよ。どうせ押入れに眠ってた奴だし。服も本望よ」

もうすぐ定刻である事に気づき、一同は腰を上げる。

「ここ最近、何かと縁がありますね」

巨躯の白狼天狗に話しかける。

「見違えたな、別人かと思ったぞ」
「見違えたとは失礼な。もう少し言い方があるでしょうに。男ならもう少し気の利いた言葉を使ってください。ほら」

袖の中に手を引っ込め、軽く腕を開き挑発的に笑ってみせる。
にとりと大天狗は「こいつは見ものだ」と、困惑する彼に冷やかしの視線を送る。

「なんというかその…」
「はい」
「綺麗だ」
「ええ、ありがとうございます。他には?」
「他に?」
「そんな子供でも思いつく言葉で片付ける気ですか?」
「とても………綺麗だ」
「どうも」
「本当に………綺麗だ」
「ええ」
「かなり………綺麗だ」
「もういいです。行きましょうにとり」

小さなため息の後、にとりと共に椛はその場を後にした。
休憩室には、高身長な天狗二人が残る。

「…」
「アンタもそういう顔するのね?」
「あの、大天狗様」
「ん?」
「俺はどうやら、女性とうまく喋る技能が足りないようだ」
「は? アンタそれ今更気づいたの?」







写真撮影が終わり、椛とにとりは帰路につく。
夕焼けが、二人分の長い影を作っていた。

「あっけないくらいすぐに終わっちゃったね」
「集まって写真を撮るだけでしたからね」
「せっかくだからその格好で文さん家に行ったら? 仏様に出会ったみたいに拝み倒すと思うよ?」
「勘弁してくださいよ」

秋の夕日はまるでつるべ落としの如く、徐々に山を暗闇に染めていく。
吹き抜ける冷えた風が、にとりの心を訳もなく物寂しくさせた。

(秋は好きだけど苦手だなぁ、柄にもなく感傷的になっちゃうよ)

帰り道、椛と話している間、大天狗の言葉が頭の中を何度も行きかっていた。

「どうしました? 浮かない顔をして?」
「椛には生き甲斐ってある?」

だから聞かずにはいられなかった。

「これといって特には」
「私はさ、モノを作るのが大好きなんだ」
「存じてます」
「何を作ろうか考えてる時間はすごくワクワクするし、作っている間は時間を忘れちゃうくらい楽しいんだ。完成した時は達成感と感動で胸が一杯になるし、その作ったモノで誰かが喜んでくれると私もすごく嬉しい」
「それは、とても素敵ですね」

今は守矢の悪巧みを阻止する事で頭がいっぱいの椛にとって、にとりのその心の有りようが、とても眩しく見えた。

(これから先の事を考えたら、にとりと関わらない方が良いのかもしれない)

一度、巨躯の白狼天狗の小競り合いに巻き込んでしまい、泣かせた事を思い出す。

(きっとあの時よりも、もっと悲惨な事が起こる)

自分が過去に仕出かした事が、厄介ごとになって、これから何度も降り注いでくる。
そう思ったら、考えるよりも先に、口が動いた。

「だから椛もそういうのを見つけ…」
「あの、にとり?」
「なんだい?」
「いつか、ダムの前でした約束、覚えてますか? 気持ちの整理がついたら話すって言う」
「当然さ、忘れるわけないじゃないか」

覚えているのが自分だけじゃないとわかり、嬉しくなる。

「あれ、取り下げる事はできませんか?」
「へ?」

しかし、その歓喜は一瞬で崩された。

「なんでさ!?」

思わず叫んだ。

「私の過去に関わると、きっと火の粉が貴女にも及ぶ」
「こちとら河童でエンジニアだよ!! 火なんかにビビるもんか!!」
「そういう問題じゃないんです。この前みたいな思いをまた貴女に…」
「『こんなこともあろうかと』を地で行く私を舐めんな!!」

にとりはポケットからスイッチを取り出す。
押した瞬間、すぐ近くで大きな穴が二つ開き、何かが射出された。

「ザッケンナコラー!」
「スッゾコラー!」

粗暴な口調の、ダークスーツに身を包んだ二体のヒグマロボが、椛の左右に着地する。

「なんですかコイツら!?」
「荒事に特化させた『ヒグマロボ(ヤクザ仕様)』だよ!」

二体のロボは前足で椛の身体を器用にホールドする。

「オオジョーセー!」
「ヤンノカオラー!」
(なんて馬力だっ!?)

二体を振り払う事ができない。

「前みたいなことがあったから、急いで配備したんだ。椛があんな目に遭うのは二度と御免だと思って」
「にとり…」

平和なこのご時世で、戦っているのは自分だけだと思っていた。

「こうやって何とかするから。遠ざかんないでよ頼むから」
(とんでもない思い違いをしていた)

彼女もまた、戦っているのだ。
友を守りたいという、崇高な思いを胸に。自分に何が出来るかを必死に考えながら。

(貴女は私より、ずっと強い)

護ろうと思うのがそもそもおこがましかった。

「私の杞憂でした。取り下げの話は取り下げます」

その言葉を聞き、ロボは自分たちの穴に戻って行った。

「どうして椛はいつもそうやって一人で思いつめちゃうのかね?」
「きっとこういう性分なのでしょう」

日没後に現れた半分の月が、二人を淡く照らす。

「必ず話します。何時になるかは、まだわかりませんが」
「大丈夫。ちゃんと待ってるよ」

どちらからともなく手を出して、小指を絡めた。
今のにとりには、それだけで十分だった。




【 final episode 】



< 一日目 >


夕方。その日の業務を終えた椛は、大天狗の元を訪れていた。

「今日も結婚案内所の書類ですか?」
「なんか、幻想郷全土を対象にやってる所があってね、そこにも登録しておこうと思っ………ぶえっくしょぉん!!!」
「おっと」

身体を傾けて回避する。

「あー誰かが私の噂してるわ。これはとうとうモテ期来るわね」
「クシャミ一つでそこまで飛躍しますか?」
「つーか、そろそろモテ期が来ないとおかしいわ」

彼女の計算ではあと二回残っているらしい。

「しかし何でかしら。普通、こんなけアタック続けたら、女装したオッサンでも恋人作れるわよ」
「それ言っちゃいますか?」
「そろそろ。こんな直向きな私の姿に感動して近づいてくる良い男が…」
「いないですね」
「いないかー」

今日も相変わらずのやりとり。

「気を悪くすると思って、今までずっと訊かずにいた事があるんですけど、訊いてもいいですか?」
「ん? ナニ?」
「いつもいつもそうやって婚活に励まれてますが、結局の所、繁殖がしたいんですか? 精神依存できる相手を探してるんですか?」
「うっわ、引くわー。その質問引くわー」
「でも突き詰めていけば、結婚なんてそんなもんでしょう?」

世間体で結婚を焦る者もいるというが、大天狗の立場上それはないような気がした。

「そりゃあ、私のような優秀な遺伝子は後世に残さないといけないって義務感はあるし、寄り添ってくれる相手が欲しいってのもあるけどね…」

ここで一度言葉を切り、普段より少し真面目な顔になる。

「男と女ってのはさ、個体でどれだけ優れてても一生不完全なままだと思うのよ。二人寄り添って、初めて完全な命として成立するっていうかさ。わかる?」
「これっぽちも」
「女バーバリアンでソフトサイコパスのモミちゃんにはちょ~~と難しい話かもねー」

その言い方に軽くムッとする椛。

「私に毎回あれこれケチつけるけど、そういうモミちゃんはどうなのよ? 男にモテるように思えないんだけど?」
「失敬な。私だってその気になればツガイの一人や二人簡単に作れますよ」
「ほ~~じゃあ聞こうじゃない。モミちゃんの女子力とやらを」
「料理出来ますし」
「煮るか焼くか揚げるしかレパートリーないじゃない?」
「気配りだって」
「私が背中掻いてって言ったら無言で柱を指さすモミちゃんが?」
「…」

しばらく時間が止まったように固まる椛。

「もしかして私、大天狗様とそう変わらない?」
「かもね」

大天狗は苦笑する。

「いつもと立ち位置が逆になるって、なんか新鮮ね」
「そう言えばそうですね」

大天狗が必死に足掻く姿に椛が茶々を入れるのが常で、今までにない流れだった。

「ところでさ。私たちって、何回ここでこんな会話したかわかる?」
「さぁ? いちいち数えてませんので」
「二週間に一回以上はここで会ってるから、結構すごい数になってると思う」

そう言われると、膨大な回数になっている気がした。

「これからも、その数を増やしていけると思う?」
「守矢神社に支配されなければ」
「そーなのよねー」

見過ごせない事態が目の前に迫っていた。
現在、守矢神社は発電事業を立ち上げ、妖怪の山を、ゆくゆくは幻想郷全土を牛耳ろうと目論んでいる。
守矢神社はこれまで様々な事柄で天狗社会に干渉し、結果的に天狗社会に打撃を与えていった。
その集大成が発電所建造だというのなら、なんとしても阻止する必要がある。

「しかし電気ねー、そんなのが本当に幻想郷に普及するのかしら?」

大天狗は、守矢を調査するうえで電気について色々と学んだ。電気を知れば知るほど、その必要性に疑問を感じていた。

「電球を光らせるよりも、自分の妖力を消費して指先から火を生み出した方が安上がりじゃん?」

そういった考えから、天狗の殆どが電気の存在を軽視している。

「大天狗様みたいな方には必要無いかもしれませんが、機械に依存する河童なら飛びつくじゃないんですか? あと妖力の無い人間もその恩恵を受けられるでしょうし」

個々の力が弱い種族や、大所帯の組織は、あれば積極的に使うだろうと椛は予想していた。

「なるほどね。電気を使いたいって連中の数がそのまま信者の数になるんなら、発電所は作るっきゃないわね」
「それで、守矢の発電所建設を阻止する作戦は立てられそうですか?」
「作戦も何も、異種族に対する妨害方法なんて昔から一つでしょう?」

大天狗は扇子を広げ、口元を隠して目を細める。
かつて、天狗社会の裏を暗躍した組織を纏めていた時と同じ顔つきをしていた。

「物理的に邪魔をする。誰がやったかバレないように上手に」
「具体的には?」
「発電のための装置を狙う。易々と量産できるものじゃないでしょうし。二、三個壊せばお手上げでしょうよ」
「装置の正体は掴めているのですか?」
「それがまだ全然」

もろ手を挙げる大天狗に、椛の肩がガクリと下がった。

「どんな方法で発電するかわかんないんじゃ、見つけようがないじゃん。お手上げよお手上げ」
「とか言っておきながら、ある程度の目星はついてるのでは?」
「どうしてそう思うの?」
「大天狗様は、焦ったり思い悩む事があると煙管に手が伸びるハズですから」

今は煙管を吹かしていないため、何かアテがあるのだろうと椛は思った。

「およよ? ちゃんと見てるのね?」
「どれだけ部下をやってると思ってるんですか」

椛が指摘する通り、大天狗は一つに守矢の発電で心当たりがあった。

「でも悪いけど、モミちゃんには教えないわよ?」
「なぜ?」
「だって八坂神奈子に堂々と宣言しちゃったんでしょ? 『邪魔してやる』って。モミちゃんに下手に動かれて、奴らが穴熊決め込んだら責任取れるの?」
「大天狗様」
「ん? なに?」
「私の身を案じて情報を与えないようにしてませんか?」
「ヤダ、ちょっと何言っちゃてんの?」
「同じ事を言わせないでください。貴女の本音と建前くらい、いい加減、察せられます」

相手を気遣っている事を悟られないように、ワザと棘のある言い方をするのは、彼女の癖である。

「貴女は天邪鬼ですからね」
「…」

看破されて渋い顔をする。椛が指摘した通り、大天狗は椛にこの件は関わって欲しくはなかった。

「今のモミちゃんってね、すごい危ういのよ」
「私が?」
「ちょっと前までは『生きるも死ぬも、そいつ次第。全て自己責任。誰が死のうと知った事じゃない』のスーパー弱肉強食主義者だったじゃない?」
「そこまで言いますか?」
「守矢のダム騒動があった頃までは、何が何でも生き残るって強い意志があったのに、今はそれが無い。自覚あるわよね?」

保守派壊滅に関わって以降、彼女の雰囲気が若干変わった。

「モミちゃんひょっとして、自分の事を罪人だと思ってる? 罪悪感抱えてない?」
「そりゃぁ、ありますよ」
「やっぱりかー」

大天狗は天井を数秒見上げてから顔を戻し、椛を見据えた。

「私が命令したからでしょうが。断れば粛清するって脅して無理矢理やらせたんじゃない。私を恨むのが筋ってモンでしょう?」
「それは逃げです。八つ当たりと同じ事」
「まったくこの子は」

両手で顔を覆う。

「守矢を探るのは良いけど程々にしてよ。今回はアイツ等マジなんだから。邪魔してる所を現行犯で見つかったら殺されるわよ」
「犬死だけはしないようにします。それでは今日は、この辺で」
「うん、ご苦労様」






椛が去って、静寂に包まれる部屋の中で、大天狗は物思いにふける。

(こんな事なら、隊長職を勧めない方が良かったかしら?)

その考えが彼女への侮辱だと気付き、慌てて頭からかき消す。

「気晴らしに天魔ちゃんの家に行こうかしら」

守矢の調査の報告がてら、遊びに行くことにした。
















『ずいぶんと小じんまりとした所に住んでおるのだな?』

幼い見た目に反して、ただならぬ貫禄を醸す童女が、家屋の入り口を見回す。

『ご無沙汰しております。良くここがわかりましたね?』
『知らぬ間に姫海棠などど名乗りよって、おかげで探すのに苦労したぞ』
『私はあの人の妻ですから。夫の姓を名乗るのは当然です』
『ねぇ、お母さん、この子だれ?』

突然我が家にやってきた、自分と変わらぬ背丈の少女を指さして尋ねる。

『駄目でしょう、指をさしちゃぁ。すみません天魔様』

天魔と呼ばれた童は、聞こえるように舌打ちして、露骨に不快感を露わにしていた。

『こいつが、お前とヤツの間に出来た餓鬼か?』
『そうです。はたてと言います。名の由来は…』
『目がアイツに似ておる』
『そうなんですよ。目元があの人にそっくりでして』
『残念じゃ』
『残念?』
『もう少しお前に似ておれば、共に引き取る事もやぶさかではないと思ったが。この餓鬼には愛着が湧きそうにない』

はたての顔を見ながらはっきりと告げる。

『とてもお前の才覚を受け継いでいるようには見えん。出来損ないだな』
『そんな事ありません。私が誰よりも立派な天狗に育ててみせます』
『その病弱な体でか? 笑わせるな。この餓鬼が寺子屋を卒業するよりも先に、お前は死ぬぞ』
『覚悟の上です』
『餓鬼を余所に預けて戻って来い。さすればこれまでの事は全て水に流そう』

この当時、彼女を天魔の座から引きずり降ろして、山の頂点にとって代わろうとする者が現れ、味方が一人でも多く欲しい状況だった。

『愛娘を出来損ない呼ばわりする方とは、一緒に住めません』
『ならば勝手にせい』
『そうさせて頂きます』

天魔は踵を返す。

『母子共々、好きなように野垂れ死ね』

そこで天魔の夢は終わった。




(また、この夢か)

布団をまくり身を起こす。
秋も佳境を迎え、冬目前だというのに、ひどい寝汗だった。

「天魔様、いらっしゃいますか?」

障子の向こうから女中の声がして、天魔はそちらを向いた。

「どうした?」
「大天狗様がいらっしゃってます。『お茶菓子持ってきたから縁側で待ってる』と」
「わかった。すまんが茶を淹れてくれ」
「かしこまりました」

汗を十分に拭いてから、縁側で待っていた大天狗の元へ向かった。










会って最初に、軽い情報交換を行う。

「ごめんね、あれから色々と探ってみたけど、有力なのはなくて」
「儂の方も収穫はなかった。申し訳ありませぬ」
「やっぱり、なかなか尻尾見せないわね」
「アイツ等は発電所のために多くの代償を払った。慎重にもなりましょう」
「しっかし、発電所で幻想郷を掌握しようだなんて、外の世界から来た連中は常識から外れた事を考えるわね」
「河童の村長にも協力を仰いでおいた。山で最も博識なお方じゃ、色々と知恵を貸してくれるじゃろう」
「うん、そうね…………ところでさ」

大天狗はあたりを気にしだす。

「今日って、はたてちゃん来てる?」
「うむ、この時間はあの道場で瞑想中じゃな」

屋敷内にある道場に視線を向ける。

「鍛錬の方は順調?」
「最近は、伸び悩んでおるが、それを過ぎれば飛躍的に強くなりましょう」
「ぶっちゃけた事聞くけど、同じ年代の子を強い順に並べたら何番目くらい?」
「明言できんが、上から数えた方が早いですな」
「流石は天魔一族の血を引いてるだけあるわ」
「ッ!?」

天魔の顔が一瞬強張る。

「あの子の身の上話を聞いてたらなんとなくね。そっか、はたてちゃん。あの人の娘さんだったのね」
「黙っていて申し訳ない」
「天魔ちゃん、あの人の事、ずっと嫌ってたじゃない。どういう風の吹き回しよ?」

天魔がはたてに行っている施しは、まるで彼女の母に対する贖罪のように見えた。

「大天狗殿と同じじゃよ」
「私と?」
「時間が経つと、過去の自分のしたことが客観的に見えてきて、それがいかに間違っていて、醜い行いだったかわかる」
「そうね」

大天狗も、かつて組合という名の暗部を創設し、治安維持という大義名分のために、非道な行いを重ねた。
今はその事に対して後悔の念を抱えている。

「いつ襲名させるつもり? 100年後くらい?」
「そこまでは、まだ考えておらん」
「後継者にするつもりで弟子にとったんじゃないの?」
「最初は、他の鴉天狗と同等の力を身に着け、それなりの数の友人を揃え、ささやかでも幸せな生涯を送って欲しいと。あいつへの罪滅ぼしで傍に置いた」

少し面倒を見たら、縁を切るつもりだった。

「その割にはガッツリ関わってるわね」
「一緒に過ごす内、だんだんと可愛く思えてきて。後先を考えず色々と肩入れしてしまった」

最初は胸につかえた罪悪感から逃れるためだった。
しかし、気づけば彼女を家族として扱っていた。自分と同じ血が流れる唯一の存在である彼女が、愛おしくて堪らなかった。

「今以上に強くなると、あの子はもう引き返せなくなるの、わかってる?」
「…」

天魔は押し黙る。
わかっているからこそ、ずっと基礎鍛錬ばかりで高度な術は一切教えないできた。
実力が伸びないことを気にしているはたてだが、その原因は他ならぬ指導者である天魔が意図的に引き起こしていた。

「今はまだ無名な小娘で通ってるけど、このまま成長すれば、色んな幹部の目につくわ。そうなれば私みたいに気づくのが出てくるわよ」

天狗社会が、天魔の血を引く者を放っておくわけがない。

「あの子の存在を疎ましく思う連中が必ず出てくる。そいつらはどんな手段使ってでも殺しに来るわよ?」

その時に本格的な鍛錬を始めても、もう手遅れだと大天狗は言う。

「なんとか、アイツが儂の跡を継がんですむ方法はないものかの」
「このまま鍛えて継がせれば良いじゃない。何を躊躇うの?」
「あいつは優しすぎる。天魔には向いておらん」
「そうかしら? 敵には容赦しない気がするけど? 特に友達を傷つける奴なら問答無用って感じじゃない?」

椛の過去を侮辱気味に伝えようとした時に殴られた頬の痛みを思い出し、その箇所を軽く撫でる。

「そこが問題なんじゃ。偉くなれば、組織を守るために友を見捨て、時には自らの手で斬らねばならん。その苦しみを味わうことになる」

その声色は、耐えられるのかという心配ではなく、出来ることなら味わって欲しくないという願望のように聞こえた。

「何にせよ、天魔の血筋は天狗社会の秘匿情報だから、漏えいの防止には努めるわよ。あの人には恩もあったし」
「恩に着る」
「継がせるかどうかは置いといて、本人には血筋のこと知らせておいてあげなさい。どの道、気づくのも時間の問題でしょうし。天魔ちゃんの口から言っておいた方が、遺恨が残らないと思うわよ」
「わかっておる。わかっておるのだが…」

イマイチ踏ん切りがつかない様子の天魔。

「お互い、いつポックリ逝くかわかんないんだし。今の内に話して色々と揃えておいてあげないと、最終的に苦労するのはあの子自身よ」
「そう、じゃな」
「決断力が売りの天魔ちゃんじゃない、しっかりしてよ」
「う、うむ」

曖昧な返事をして弱々しく頷いた。
















「あっ」
「あらはたてちゃん、今日も鍛錬ご苦労様」

鍛錬を終えて道場を出た姫海棠はたては、道場の前で大天狗と鉢合わせした。

「あの、大天狗様この前は…」
「これ返すわ」

いきなり小筒を放られた。
掴み、キャップを外すと戸籍表が出て来た。自分が先日見つけた椛の本名が記された戸籍表だった。

「じゃあね」
「あ、待ってください」

立ち去ろうとする大天狗を追いかける。
追いつき、横に並び戸籍表の入った筒を返した。

「それは元々、あの人が大天狗様に託したものですから」
「良いの? 私が持ってても?」
「お願いします」
「そっか、ありがと」
「大天狗様、この前は私…」
「あれは私が転んだだけだから。そういう事にしといて頂戴」

あの日の出来事は、軽率な自分の行動が招いた結果で、自業自得だと大天狗は思っていた。

「モミちゃんの過去はさ、モミちゃんの口から直接聞いてね。それ以外は信じちゃ駄目よ」
「そうします」
「それじゃあ私はここらでおいとまするわ」

はたては立ち止まり、門へ向かうその背を見守る。

「あ、そうそう」

歩を進めながら大天狗は自分のこめかみに人差し指を当てた。

「ココのリミッター解除は、連続で使っちゃダメよ? 全盛期の天魔ちゃんでも、一日一回以上は絶対に使わないようにするくらい、負荷が大きいんだから」

一度も振り返ることなくそう告げて、門を潜った。

(あんなにも頼り甲斐があるのに、本当に、十年以内にヨボヨボになっちゃうのかな?)

先日、未来の自分がそう語ったのを思い出す。
その言葉のせいか。先ほどの彼女の背中は、普段よりも小さく見えた。









< 二日目 >

守矢神社の本殿。

「今回の宗教戦争、どこも痛み分けに終わったから良かったものの。ウカウカしてられない。半年後には発電所を完成させたいわ」
「ずいぶんと急だね。それだけの期間でいけるの?」

八坂神奈子と洩矢諏訪子が、これからの段取りを確認し合っていた。

「最初は小規模な施設を建て、外にその利便性を大々的にアピールし、徐々に需要を拡大していく。まずは建てなければ話にならない」
「試験場の建設具合は?」
「順調よ。ほぼ完成している。彼らに任せて正解だったわ。予定の日には試運転が出来る」
「ちゃんと動くんだろうね?」
「十中八九成功するわ。そのために地底に赴くという高いリスクと私財を払った、気を付けなければいけないとするなら…」

神奈子は壁に手を着き、信仰により溜まった神徳の一部を開放する。
すると本殿の扉が一人でに開いた。

「おっと」

扉の向こう側、メモ帳を手にした射命丸文と目が合う。

「盗み聞きは関心しないわね?」
「盗み聞きだなんて人聞きが悪い。ただお二人のお話が済むまで待機していただけです」

自由に出入りを許可されている文はそう弁解する事で、それ以上の追及を逃れる。

「わかるわね諏訪子? これから私達が何を気を付けなければいけないか」
「なるほど、よーく分かったよ。壁に耳あり障子に目ありってか」

一人納得した様子の諏訪子は一足飛びに文の元まで詰め寄ると、文の胸ポケットに入っていた守矢神社製の御守を掠め取った。

「今からお前は出禁だ。私達と甘い汁を吸いたきゃ、天魔か大天狗の首でも持ってきな」

出ていくよう文に勧告する。

「ツれない事言わないでくださいよ。かつては同じ悪事に手を染めた仲ではありませんか?」
「ここ最近のお前は信用ならない。保守派の排除に一役買ってくれていたようだけど、最近はどうも大天狗側にいる気がするわ」
「それでもまだ、私を飼っておくメリットはあると思いますが?」
「もう十分よ。今までご苦労だったわね」
「ダッセ、振られてやんの」
「いえいえとんでもない。おかげで天狗の本分を全うできるというものです」

諏訪子の茶化しを無視して、文は身を翻し神社を出ていった。















大天狗の屋敷。
守矢神社を出たそのままの足で、文は大天狗の元へやってきた。

「どうだった?」
「あまり良い情報は…」

文は守矢との関係を解消された事と、僅かに聞き取る事が出来た二柱の会話を報告する。

「十分よ十分。そっか、やっぱり水面下で動いてたか」

試験をする場を準備中というのは、大きな収穫だった。

「そこを潰せば大打撃を与えられそうね」
「問題はその場所です。山の外にあったら、探すのは骨ですよ」
「発電所を山に作る気なら、試験も山でするわよ。それに奴ら、山の外のほうが敵多そうだし」

博麗神社、命蓮寺、道教一派と、信仰を競い合う相手が跋扈する山の外よりも、それらが容易に立ち入る事ができない山の中の方が都合が良いはずだと予想した。

「なるほど、あとは発電方法が分かれば、試験の場所もだいぶ絞れますね」
「それなんだけど、一個、心当たりがあるわ」
「大天狗様もですか? 実は私もです」

『常温核融合』という言葉が、二人の脳裏を過った。
守矢神社は以前、麓でそんな演目のパフォーマンスをした事があった。水をぬるま湯に変える程度の事だったのだが、実際に成功した時、守矢は過剰な程の喜びを見せていた。

「そもそも、火力や水力を使った発電所が半年やそこらで出来るわけないもの。幻想郷の外の技術に頼る以外、考えられないわ」

試験場という言葉からも、従来の方法とは違う発電方法を採用している可能性が高い。

「それ以外に考えられませんね」
「ところで常温核融合って何?」
「すいません。私もさっぱりです」

パフォーマンスを取材しに行った事がある文だが、早苗や神奈子の説明を聞いても何がなんだかさっぱりだった。

「河童の村長なら多少はわかるかもね。あの人の頭の良さは異常だから」

彼女が詳しい事を知っていれば、対策もだいぶ練りやすくなると考える。

「ちょっと村長に聞いてみるわ。文ちゃんは引き続きアイツらの事を探っておいて」
「かしこまりました」




大天狗の屋敷を出た文はダムの上空を飛んでいた。
ここを通るのが次の目的地までの最短ルートだった。

(もう絶対に、守矢の思い通りにはさせない)

眼下に広がる巨大な水溜りを見て誓う。
ここはかつて数多くの白狼天狗の死体が捨てられた場所。
守矢に協力する振りをしてダム建設を妨害しようとしたが、結局は失敗して、あげく椛に辛い思いをさせてしまった、自身の愚かさを象徴する場所だった。
周囲の景色を歪みなく映すその水面は、まるで巨大な浄玻璃の鏡のように思えた。

「ん?」

慰霊碑の前に誰かが立っていた。
肩まで髪を伸ばした、白狼天狗の少女だった。

(まさかあの人はっ!?)

かつて出会った人物が見えたので、急きょ方向転換して着地する。

「あれ?」

しかし、慰霊碑の前にいるのは別人だった。

「あの、私に何かご用でしょうか?」

突然降下してきた文に驚き、目をパチクリさせる白狼天狗。

「失礼しました。知り合いに似ていたもので」

文が謝罪すると、彼女はそそくさと立ち去ってしまった。

(いけませんね。少し、休暇を取るべきでしょうか?)

情報集めによる疲労が溜まっていたのと、この地に対する罪の意識から、幻覚を見てしまったようだ。

(しかし、幻覚だったとしても、もう一度会いたいものです)

かつて椛が先輩と呼び慕った白狼天狗の少女。
椛の人格形成に大きな影響を与えた少女の残留思念は、ダム建設の際、守矢神社によって完全に消滅している。

(世話焼きなあの方の事です。ひょっとして、本物の魂は、中有の道あたりでずっと椛さんを待っていたりして…)

想いを馳せようとしたその時、いきなりダムの外壁から四人の男の河童が下りて来た。全員ずぶ濡れで大きな工具箱を担いでいる。

「おい誰だよ。ここなら目につきにくいって言った奴」
「おかしいな。普段なら誰もいないハズなんだが」
「あの人ひょっとして射命丸文さんじゃないか? 俺あの新聞のファンなんだよ」
「馬鹿か。さっさと行くぞ」

文と目が会った四人はバツが悪そうに、足早に去って行った。

(なんだったんでしょうか? ダムの修理をしていた風でもなかったですし)












姫海棠はたては父親の顔を覚えていない。
物心がつくかつかないかの頃に言葉を交わした記憶はあるが、顔を思い出すには時間が経ちすぎてしまっていた。
なぜか父親の写真は一枚も残っていなかった。母親は『写真の苦手な人だったから』とはぐらかした。

(まぁ別にどうでも良いし)

わからずとも、自分には母親がいてくれればそれで良かった。自分たちを残して逝ってしまった者になど関心は無かった。
過去に一度だけ母親から「お父さんがいなくて寂しい?」と尋ねられたことがあったが、「あんまり」と答えると、母はとても複雑な顔をした。今にして思えば子供らしい残酷な返事だったと思う。
だが、そう答えてしまう程、母と共に見る景色が、彼女にとっての全てだった。

しかし、母と歩めた道はあまりにも短かった。

成長し、寺子屋での義務教育期間を終えてすぐ、母が倒れた。母が虚弱体質だというのを知ったのはその時だった。
はたてが寺子屋に通い続けられるよう、かなりの無理をしていたようだった。無事に卒業できて気が緩んだのだろう、蓄積していた負荷が一気に彼女を襲った。
医者は入院を勧めたが、母はそれを拒んだ。もう長くない事を悟っており、残りの時間はすべて娘のために使うつもりだった。
日に日に弱っていく母、ただその様子を見守ることしかできない自分。そんな日々がしばらく続いた。

―― 「あまり構ってあげられなくてごめんね」と母は言う。

(そんな事ない。いっぱい一緒にいてくれた)

―― 「贅沢させてあげられなくてごめんね」と母は言う。

(そんな事ない。私には十分すぎた)

骨の形がはっきりと分かってしまう程細くなった手が、泣き続けるはたての頬に触れる。

―― 「ごめんね、本当にごめんね」

それが息を引き取る前に残した、最期の言葉だった。


「謝らないで!!」

眼を開けて叫ぶと、道場の天井が見えた。

(ここ数年は見なかったのにな)

はたては体を起こす。瞑想の途中で、眠ってしまっていたようだった。

「オイ! 何があった!?」

声を聞きつけた天魔が駆けつける。よほど慌てていたのか、段差で躓き、はたての目の前で転びそうになる。

「大声だしてごめんなさい、ただちょっと夢を」
「夢?」
「昔の事を思い出しちゃって、それで気が動転して、夢と現実の区別がつかなくなって………あれ?」

自分の意思と関係なく涙が零れている事に気付いた。
止めようとしても、涙は際限なく涙腺から溢れる。

「す、すみません、すぐ、止めますんで」

しかし、どれだけ意識しても、涙は止まらない。
頭と心は常に繋がっているものではないと、今初めて知った。

「子供が背伸びをせんで良い」

天魔の小さな手がはたての頬に触れる。ひんやりとした感触が、はたての心のざわつきを鎮めていく。

「ゆっくりで良い。落ち着くまでこのままでいろ」
「母さんも、私が泣いてる時、こうやって慰めてくれました。誰かにこうして貰えると、とても安心できるんだって」
「そうか」

知っていた。この仕草を教えたのは、他ならぬ自分なのだから。

(こやつが泣くほど悲しい出来事など、一つしかあるまい)

はたてがどんな夢を見たから泣いているのか、おおよその察しはついていた。

(儂が泣かせたようなものじゃな)

つまらない意地で、はたての母の死期を早めてしまったのは、他ならぬ自分。

「はたてよ」

今ここで全てを話そうかと考えた。はたてが母の事を考えている今を置いて他にないと思った。

「…はい、なんでしょうか?」
「いや、なんでもない。好きなだけこうしていろ」

しかし、出来なかった。
心で思い、口が動き、いざ声を発する段階になると、喉が震えて息ができなくなる。

(儂はなぜ、伝える事をこんなにも躊躇っておるのだろうか)

はたてが泣き止むまで考え続けたが、答えは出てこなかった。






泣き止んだはたてを玄関まで見送る。

「すみません。お恥ずかしいところを」
「気にするな。あとそうじゃ、はたて。明日、三時前にここへ来い」
「何があるんですか?」
「普段から贔屓にしている行きつけの団子屋から優待券を貰ってな。一人で食い切れん量だから手伝え」
「全力で助太刀致します!」

敬礼して答える。

「それじゃあ明日また来ます!」
「これを持っていけ」

玄関から去ろうとするはたてに陣笠を差し出す。

「もうじき、一雨くる」
「ど、どうも」
「そんな顔をするな。両手が自由なのは便利ぞ」

笠に対し、露骨な嫌悪を示していると嗜められた。
はたては陣笠を被るのが好きではなかった、髪が乱れ、素材の麻の匂いが体に着くからだ。そして何より見栄えがあまりよくない。

「昼間は風が強かったからな、巻き上げられた土や砂が雨に混じって落ちてくる。それは一番笠が大きく頑丈なものじゃ。お前をしっかり守ってくれる」

外に出て見上げると鉛色の雲が山全体を覆っていた。










ダムから移動した文は、岩が剥き出しになっている崖までやってくる。
数十メートル下を渓流が流れているその断崖絶壁に、椛が足を投げ出して腰かけていた。

「文さん、なにか進展は?」
「少しだけですが」
「それは良かった」

椛の視線の先には、親指程の大きさとなった守矢神社がある。

「私が神社を出て行ってから何か動きは?」
「特にこれといって」

椛は哨戒の時間はこの場所に来て、守矢を監視するようにしていた。

「良い場所ですねココは。曇っているのが悔やまれます」

あたりに生える楓の木を見てそう呟いてから、文は椛の横に腰かける。

「そうですね。紅葉の色に紛れて、私達も溶け込めています」
「あ、いえ。そうではなくて、単純に風流だなぁと」
「…ああ、なるほど」

納得した表情の椛。今の今までそこまで気が回らなかったようだ。

「椛さんともあろう御方がワビサビを忘れるなんて。少し休んだ方が良いんじゃないですか?」
「貴女こそどうなんですか? だいぶお疲れのようですが、連中から何か言われました?」
「三くだり半を突き付けられました」
「そうですか。奴らもかなり警戒を強めてい…」
「はぁぁぁぁ」

椛の肩にしだれかかる。

「やはり気分が優れませんか?」
「いやなに、八方美人って結構疲れるなぁ…って。解放されてしみじみと思いまして」

全身の気が抜けて、椛に全体重を預けた。
守矢神社、大天狗、守矢派、保守派、水面下で対立し合う組織を要領よく立ち回るのがどれほどの心労と疲労か、椛には計り知れない。

「お疲れ様でした」

普段なら問答無用で引き剥がすところだが、今だけはこのままにしておいてやろうと思った。

(いつの間にか、ずいぶんと親しい間柄になったものだ)

かつて、一緒にいるだけで腸が煮えくり返る相手にこうして肩を許している自分。
はたての脱引篭りで交流を持つ前の自分が見れば、卒倒したに違いない。

「何か良いことでも?」

どうやら顔に出ていたらしい。
静かに笑う椛に文は怪訝な顔をする。

「いえ、ちょっと。昔よりは幾分かマシになれたんだなぁと、実感しまして」

憎いか、無価値か、あの頃の自分の目に映るモノの殆どは、そのどちらかだった。

「仇だった相手がいなくなり、ダム騒動は収束して、隊長職にもだいぶ慣れ。ようやく今になって色々と振り返れるようになりました」

落ち着いた心で、自分の半生を顧みる。

「自分の事しか頭にない、酷い奴でした私は」

手を組み、俯くするの姿勢は、懺悔の姿に似ていた。

「自分は弱いから、自分の身を守るのが精一杯だからと、弱さを言い訳に、多くの仲間を見捨てました。奪われる側を経験したことを免罪符にして、他者から奪う事に何の罪悪感も抱きませんでした」

語るその姿は、裁判官に罪を告白する被告人そのものだった。

(最近の椛さんは危うい)

文も大天狗と同じことを思っていた。
椛の強みはどんな状況でも、生き残るためなら手段も犠牲も厭わない所にある。
しかし保守派との一件で、子供のために身体を張って以来、その意思がだいぶ稀薄になった気がした。

「…」

椛の気持ちを切り替えさせる事の出来る、気の利いた言葉が出てこない。
何かないかと考えていると、水滴が一粒、文の肩に落ちた。ポツポツと数瞬の間を開け、やがて雨が本降りになった。

「椛さん、傘は?」
「持ってくるのを忘れました。文さんは?」
「私もです」

雨に打たれても二人はその場から動こうとしない。

「そういえば今日は風が強かったですね」
「ああ、だからこんなにも」

泥や砂を孕んだ雨が、白い二人の衣装を徐々に汚していく。

「今日はもうそろそろ引き揚げましょうか?」

椛の白い髪や道着が薄黒く濁っていく。それを見るのが、文は堪らなく嫌だった。

「どうぞ。私はもう少し見ています」
「汚れますよ?」
「慣れていますから。それに雲の厚さからして通り雨です。直に止みます」
「では私もこのままで」

そんな時である。二人の頭上を傘が覆ったのは。

「傘もささないでどうしたの?」

陣笠を被ったはたてが二人の間に割り込んだ。
偶然通りかかったはたては、背後から二人の首に腕を回し、自分が被る陣笠の中に招き入れた。
三人が相笠するには傘は狭く、はみ出た部分に容赦なく泥の雨がかかる。

「離れなさいはたて」
「そうですよ。貴女まで汚れてしまいます」
「良いよ別に」

椛と文に回す手を強める。

「こうなったはたては強情ですからね、お言葉に甘えるとしましょうか?」
「そうですね」

観念した二人ははたてに身体を傾ける。
互いの体温がより近くに感じられた。

「それにしても勿体無い」
「何がです?」

文がポツリと零した言葉に椛が反応する。

「どの木も、せっかく綺麗に紅葉してるのに、この雨でいくらか散っちゃうんだろうなぁ、と」

頭上を彩っている、黄色や赤に染まった葉を名残惜しそうに眺める。

「だったら来年も、この場所で紅葉を見ようよ」
「そうですね、守矢神社が見えるのは少し癪ですが」

はたての言葉に椛が同意する。

「良い事言いますねはたて」

今のやりとりがなんだか無性に嬉しくて、文の顔が綻ぶ。
通り雨はまだしばらく止みそうになかった。














「ようやく止んだね」

はたてが二人を抱える姿勢のまま見上げると、西の空に夕日が見えた。

「うぅ、ベタベタする」

雨に濡れた背中の不快感は、納得しての行動だったとはいえ、辛いものがあった。
椛と文も、頭ははたてに庇われて無事だったものの、それ以外の箇所が酷い有様だった。

「おまけに寒いっ!」

風が吹き、身体を冷やしたはたてが身震いして、その振動が腕を回す二人にも伝わる。

「湯あみしないと風邪をひきますね」
「ここからなら私の家が近いので、良ければウチに来ませんか? 狭くて申し訳ないですけど」
「とんでもない。狭い方がより密着できて嬉しいというもの」
「私は最後に入りますので」
「あれー?」

話していると、地面に落ちた雨が気化し、あたりに霧が立ち込めてきた。
立ち込める霧は徐々にその濃さを増して、気づけば数メートル先が満足に見えない。

「もうじき冬ですし、夕霧もこれで見納めですかね」

そう呟く椛を、文とはたては見つめる。

(椛の肌、また白くなった?)

外を出歩く事の多い椛だが、体質なのかその肌は白い。血色の良い白い肌を、二人は密かに羨んでいた。
隊長となり前線に出る機会が減ったからか、椛の肌が依然よりさらに白く感じられた。

「さて、そろそろ行き…………離してください」

立ち上がろうとする椛だが、文とはたてが未だにくっ付いているせいでそれが出来ない。

「もう少しだけこのままで」
「うん。それにこうしてると温かいし」

白い髪と白い肌が霧と同化して見えて、
この霧が晴れたら、椛も一緒に消えてしまうんじゃないかと、そんな根拠のない不安に二人は駆られていた。













< 三日目 >

早朝。椛宅。

「おーい、起きてるかい?」

魚の入った魚篭(ビク)を持ったにとりが戸を叩く。

「んー? にとりさんですか?」

戸を開けて出て来たのは文だった。
たった今起きたばかりのため、眠たそうに眼を擦っている。

「どうして椛の家に?」

奥を覗くと、椛とはたてが布団の上で寝息を立てていた。

「あらら、昨晩はお楽しみだったみたいだね?」
「そうなんですよ。責め慣れてない椛さんを、私とはたての二人掛かりでですね、はたてって実は結構ドSな所があって…」
「なに下らない事言ってるんですか?」

椛が背後から文の脇腹に拳を当てる。結構、力を入れながら。

「うごぉぉぉ~~ッッ」

キドニーブロー(賢臓打ち)をまともに受け、脇腹を押さえて蹲る文。

「昨日の雨で、泥だらけになってしまい。一番近かった私の家に避難して、そのまま泊まっただけですから」
「うん、だいたいそんな事だろうと思ったよ」

軒下には三人の衣装が干されていた。

「こんなにも朝早くからどうしました?」
「朝釣りしてたら思いのほか釣れてね、そのお裾分けに」
「ありがとうございます。朝食は何にしようか迷っていたところです。にとりも食べていってください」

受け取り、はたてを踏まないよう気をつけながら台所に向かう椛。

「そういえばにとりさん」

回復した文が尋ねる。

「確か、ダムの管理チームの一員でしたよね?」
「うん。そうだけど」
「外壁の強度調査は定期的にしているのですか?」

昨日ダムで見かけた河童が気になって尋ねた。

「いいや。出来たのはまだ最近だし、壁の材質はすぐに劣化するもんじゃないから、調査は五年に一回だよ」
「そうですか」

彼らの事が、増々怪しくなった。








椛の家で朝食の後、文は河童の集落を訪れた。

(どうせ守矢に入れませんし、気になった事は全部当たってみましょう)

まず最初に、河童の村長の屋敷を訪ねる。

「お忙しいところ突然すみません」
「いえ、構いませんよ。どうぞ」

以前、『呪われた笛』の一件があってから、村長は文に恩義のようなものを感じており、彼女の訪問を歓迎した。

「天魔様と大天狗様からお話を伺っています。守矢神社が常温核融合による発電を計画しているらしいと?」
「まだ何の確証もありませんが」
「もしそうなら、必ず中止を訴えるべきです」

朗らかな雰囲気を持つ村長だが、この時だけは表情を険しくさせた。

「常温核融合を利用しての発電は、外の世界ですらまだ確立されていない技術です、それを神の力で無理矢理に実現させるというのなら、きっと何時か手痛いしっぺ返しを受けます」

強い口調でそう言い切った。
以前、守矢神社が麓でその一端を披露した事をきっかけに、常温核融合に興味を持った村長は、彼女なりに調べ、そう結論付けた。

「あの…ところで、常温核融合というのはどういったものなのでしょうか? お恥ずかしい話ですが、そういった類は疎くて。掻い摘んで教えていただけると」
「そうですね。少し長くなりますがよろしいですか?」
「お願いします」

村長はホワイトボードを引っ張り出し説明を始める。

「万物は原子で出来ている。まずはこれを知っておいてください」
「ふむ」
「原子と原子がぶつかり合う。その時にエネルギーが生み出されます」
「はい」

その説明は懇切丁寧なもので。理解できない箇所があってはいけないと、単語の一つ一つをきっちりと解説しながら進んでいく。

「私たちの周りにはプラズマという見えない物質に満ちていて」
「プラズマ?」

しかし、だからといって、素人がすんなりと受け入れられるほど、科学の世界は易しくない。

「そこで、科学者たちは磁場の存在に注目しました」
「は…はぁ?」

説明が始まって五分。文の返事に気持ちが篭らなくなる。

「このように、核融合する現象を引き起こすには特殊な状況を用意する必要があります。しかし、常温核融合とは、その名の通り、この部屋くらいの温度でも反応を起こすんです」
「え、ええ…」

十分経つ頃。ホワイトボードは図と文字と表と数式でびっしり埋まった。
もはや文にとって、村長の話は、別次元の世界で起きた全然理解できない神話になっていた。

「そして、電解熱以上のエネルギーが得られれば、それは常温核融合が起きた事になりますが、この仮説を証明するための条件として」
「…」

文は自分は他よりは賢いと、順を追った説明なら理解できない事は無いと自負していた。それが自惚れだという事を知った。
眠たいわけでも、疲れたわけでもないのに、脳が休みたがっていた。頭から煙が出ているような錯覚に囚われる。

「あの、大丈夫ですか?」

口から魂が抜けそうになっている文の様子を見て、村長は説明を中断する。

「概ねご理解いただけましたでしょうか?」
「えーと、その、少ないコストで、大量の水をお湯に変えられる現象?」

僅かな投資で大量の水をお湯に変え、発生した蒸気でタービンを回して電気を作る。それが常温核融合を利用した発電方法であると文はとりあえず理解した。

「…………まあそのような認識で構いません。ところどころ誤解があるようですが」

村長の口の端が震える。常温核融合についての補足説明をしたいが、文の状態を見て必死に我慢してくれているのがわかった。

(なぜこんな事に)

机に突っ伏す文。村長の説明の仕方が悪いわけではない、文の頭が悪いわけでもない。

(おのれ守矢神社)

とりあえず、そんな奇天烈な技術を持ち込もうとする疑惑がある守矢が悪いという事にして心の均衡を保った。

「ところで村長」
「はい」

失いかけた気力を振り絞り、腕に力を溜め、ぐっと身を起こす。

「ダムの中から、見慣れない工具を持った河童の方達が上がって来たのを見ました。何か工事でも?」
「それは変ですね。この時期は特に補修も点検もしてないハズです。どんな者達でしたか?」

職業柄、相手の顔を覚えるのが得意な文。見かけた河童達の顔の輪郭、目つき、黒子の位置、傷痕等を、覚えている限りの特徴を伝える。

「思い当たる方はいますか?」
「います。よくつるんでいる四人組です」

頭痛に苛まれたかのように、頭を押さえる村長。

「腕は良いのですが素行が悪く、お金を積まれればどんな違法な建造もする、ウチの問題児達です」








河童が運営する製鉄所の裏側。
文と河童の村長は、彼らが普段から屯(たむろ)しているというこの場所に足を運んだ。
運が良いことに、彼らはそこにいてくれた。
これからダムに向かうつもりだったのか、彼らの足元には工具箱が置かれていた。

「最近、備品庫にある機材の数が合わないという報告を受けていましたが、貴方達でしたか」
「げぇっ村長!?」
「ダムの底で何か作業をしているそうですね?」
「なんでソレを!?」

村長は手を差し出す。

「設計図があるでしょう? 渡しなさい。良い子ですから」
「…」

四人はお互いの顔を見合い数秒、敵意を剥き出しにして文たちを睨み付ける。女二人に遅れは取らないと判断したのだろう。

「河童と揉め事は避けたいのですが止むを得ま…」
「お待ちください」

扇を取り出そうとする文の前に村長が立った。
コロと持ち手が付いた、まるでトランクケースのような形の櫃を引き摺りながら。

「私の監督不届きです。どうかここは任せていただけませんか?」

四人組が地面を蹴ったのと、村長が櫃に手のひらを当てたのは同時だった。

「ぐおっ!」
「がはぁ!」
「うごっ!」
「ぎひぃ!」

一瞬で地面に跪かされる四人。村長の櫃から飛び出した四本のロボットアームがそれぞれの首根っこを掴み、地面に押さえつけていた。

「設計図はどなたが持っていますか?」
「無ぇよそんなの」
「こう見えて私は気が短いんです。工場長時代に世話をした貴方達がそれを知らないとは言わせませんよ?」
「ひぃ!?」

文には村長の背中しか見えないが、彼女から漏れ出すドス黒い雰囲気から、よほど恐ろしい顔をしているのだとわかった。

「こ、こに」

一人が恐る恐る、リュックから丁寧に折り畳まれた紙を渡してきた。
それに素早く村長は目を通す。

「貴方たち、これが何か聞いていますか?」
「ダム底に眠る英霊を慰めるための祭壇だと…」

確かに、言われてみれば、何かを祀る祭壇に見えなくもない。と村長は頷く。

「これは常温核融合の装置の外装です」

設計図を広げて文に見せた。

「どうやら、貴女と大天狗様の予想は正しかったようです。守矢は核融合による発電所をつくる腹積もりのようです」

それもあろうことか、ダムの水を試験場にして。

「やはりそうでしたか」

村長は四人に視線を戻す。
ロボットアームによる拘束は解けていたが、彼らはその場に正座して頭を垂れていた。
親に叱られた子のようだと文は思った。

「この前、心を入れ替えて真面目になると言いましたね?」
「そうなんですが、こんな俺らを雇ってくれる工場なんてなくて」
「現場の日雇いだってそうそう無いですし」
「かといって工房で何か発明をしようにも、ネジを買う金すら無い」
「そんな時、八坂神奈子様の使いの方がいらしたんです」
「ダムの底に祭壇を立てて欲しいと、周りに要らない不安を与えるから極秘でやって欲しいと。その分、報酬は弾むって」

悔しそうに語る彼らの様子から、その言葉に嘘偽りがないと二人は察する。

「射命丸さん。大天狗様への書状を書きます。お手数ですが届けてはいただけませんか?」
「かしこまりました」









正午を迎える少し前。
村長からの言付けを受けた文は、その内容を大天狗に報告した。

「まさかダムを試験場にしようだなんてねぇ」

大天狗の前には、河童四人組から取り上げた設計図と、村長直筆の手紙があった。

「今回の事に、村長は強い責任を感じているみたいで、天魔様からの許可が下りれば、すぐにでも発電が不可能になるよう細工をすると」
「どうやって?」
「試験運転を始めた瞬間に、ここのパラジウム合金が融解され、ただの鉄くずになる仕掛けを施すと仰っていました」

文は設計図の中心にある、柱のような物体を指さす。

「パラジウム?」
「これが発電の肝らしく、かなり貴重な金属なんだとか」

試験の日まで、守矢が厳重に保管しているらしい。

「つまり、それがダメになれば守矢には大打撃ってわけね」
「はい。おそらく予備は存在しないだろうと」
「わかったわ。さっそく天魔ちゃんに報告して、村長に動いてもらうようにするわ」
「それともう一つ、村長から細工を施す条件として、今回、狼藉を働いた四人組の処罰は、河童に一任して欲しいと」
「それくらい呑むわ。今は発電所の阻止が最優先よ」
「寛大なお心に敬服します」

一刻も早く村長に知らせようと立ち上がる文に、大天狗が声をかける。

「ところで文ちゃん、シマ持つならどの区域が良い?」
「はい?」

大天狗の言ってる意味がわからず、不躾気味な返事をしてしまう。

「ここまで私に有能さをアピールしておいて、出世する気が無いなんて言わせないわよ?」

幹部に取り立てる事を仄めかす。
文の他に、大天狗から依頼を受けて守矢を探る天狗は多数いるが、ここまで有力な情報を持って来たのは文だけだった。

「幹部会でね、文ちゃんの名前がちょいちょい出るようになったのよ」

保守派の頭領からも、以前そんな事を言われたのを思い出す。

「射命丸って姓、年寄りが聞けば『ああ、あの』って言うくらいの名家だったじゃない。ここらでその地位に返り咲いても良い頃じゃない?」
「せっかくですが、私は今の自由気ままな生活が気に入ってるので」
「偉くなっておいたら色々と捗るんじゃない?」
「先代が家柄や血筋で散々振り回されましてね。あまりそういうのには固執するなというのが一族全員に宛てた遺言なんですよ」
「どーりで。昔から射命丸の家の者は、全員が全員、自由奔放なわけね」

過去、何人か射命丸の姓を持つ部下を持った事があるが、優秀な反面、手綱を握るのに苦労したと大天狗は愚痴る。

「では私はこれで」
「うん、ありがとう」

文が去ってから大天狗もすぐに立ち上がる。

「ちょっと天魔ちゃんの所まで出かけてくるわ」

出立する前に、炊事場にいる従者に告げておく。

「お戻りはいつになりますか?」
「すぐに帰るから、いつもと同じ時間にご飯用意しておいて」
「かしこまりました」














大天狗は天魔のもとを訪れ、村長の手紙を渡す。

「明日の朝にでも私達三人で集まって詳しく話したいわね」
「そうじゃな」

そこで入念な打ち合わせをするつもりだった。

「良く突き止めてくれた。よもやダムを使うとは、あの頃から発電所の事を見据えていたとしたら恐れ入る」
「ほとんど文ちゃんの手柄よ。お礼ならあの子に言って」
「それにしても、打ち合わせが明日からというのは有難い」
「どうして?」
「今日の夕方、はたてと予定を入れてある」
「おっ、とうとう伝えるわけね?」
「実はまだそこまで決めておらん」

単純に誘っただけだった。

「まだ迷ってるの?」
「儂とて、伝えねばならんと思っている。しかしアイツのこれからを思うと、躊躇いがな」
「その躊躇いの原因には、はたてちゃんの将来に対する不安とは別に、もう一つあるんじゃないかしら?」

躊躇いの根底にあるのが、はたての将来を案じるものだけでない事を大天狗は見抜いていた。

「どういう意味ですかな?」
「まぁネタバレしちゃうと…」

「天魔様、お昼のご用意ができました」

女中が昼食を呼びに来た。

「やっぱり自分で考えなさい、私そろそろ行くわ」
「いや、大天狗殿、しばし待たれい、待た………あっ」

無情にも大天狗は行ってしまった。

「ひょっとして、何か大事な話をしていましたか?」

女中が申し訳なさそうな顔をして天魔の隣に座った。

「気にするな。ただの世間話じゃ」
「それなら良いのですが」
「のう、儂はどうして、今日まではたてに真実を伝えられなかったと思う?」

自分と最も同じ時間を過ごしたであろう者に問う。

「天魔様のお心は天魔様しかわかりません」
「そういう無難な返事はいらん。お前の率直な意見をくれ」
「恐れながら申し上げますと、怖かったからではないかと」
「怖い? 天魔である儂があの小娘を怖れるというのか?」

はたてに対して好意を向けている自分が、そんな事はあり得ないと否定する。

「今日、打ち明けられるのでしょう? きっとその時に、全てわかるはずです」
「それもそうじゃな」
「早く戻りましょう。ご飯が冷めてしまいます」
「うむ」

天狗社会にとっての歴史的瞬間が、もう直ぐやってくる。











夕方前。
天魔ははたてを連れ、団子屋を訪れる。

「今日は比較的、温かいですね」
「そうじゃな」

店員に団子の種類と本数を告げると、天魔は店から少し離れた場所に流れている水路を指さした。
下流にある棚田へ水を送る為に作られたもので、幅と深さがニメートルある大掛かりな物だ。

「せっかくの天気じゃ、店先の椅子も良いが、川辺で食わんか?」

水路の周りは、木々や繁みがほどよく群生して垣根のようになっており、寄り付く者も少ない。
内緒話をするにはうってつけだった。

「先に行って待っとるぞ」
「はい、受け取ったら私も行きます」

はたてを残し、一人、水路までやってきて腰を下ろす。

(ここまで来たというのに、儂は、まだ迷っているのか)

昨晩から何度も伝えようと自分に言い聞かせているにも関わらず、まだ決意が固まっていなかった。

(これだけ躊躇うという事は、まだ時期尚早なのか? いや、しかしはたての今後を考えれば早い段階で伝えねば)
「そんなに唸って。何か悩み事でも?」

聞き慣れた声がして振り返る。

「…諏訪子神か」

洩矢諏訪子が手を振る。

「ここに何用じゃ?」
「そっちと同じさ。私もあの団子屋の常連だからね」

天魔が持っていたのと同じ券を諏訪子は出した。

「早苗もあの店の団子が好きだからね。これから持ち帰りで頼みにいくんだ」

幸いな事に、店先にいるはたてとはまだ遭っていないようだった。

「ところで、その眉間の皺の原因は、主に私達かな?」
「発電所の建設は順調か?」

悩んでいたのは別の事だったが、とりあえず合わせることにした。
明日の打ち合わせで使えそうな、有力な情報が引き出せるかもしれないと思った。

「お陰様で順調に進んでいるよ」
「順調というが、発電所というのはすぐに出来るモノなのか?」
「小規模のものなら、半年もあれば竣工できるね」
「どこに建てるつもりじゃ?」
「どこにしようかね。最初の一棟目は河童向けに作るから、この山なのは確かだけど」
「この山に第一号ができるわけか」
「その第一号が重要でさ。最初の一つが建てば、みんなきっと自分たちの傍にも発電所を置いてくれと縋るようになる」
「そうなれば守矢神社の天下というわけか」
「天狗も一枚噛まないかい? 神奈子はウチで利権を全部独占しようと考えてるみたいだけど、私は天狗と組んだ方がお互いに得だと思うんだ。なんせこれには人手がいる」
「それなんじゃがな」
「うん?」
「天狗はその発電所の建設とやらに反対の意を示そうと思う」
「…」

この時、諏訪子は動揺を悟られぬよう努めた。
声が上擦った声にならないよう、ゆっくり冷静に口を開く。

「へー。なんでさ?」
「常温核融合による発電を考えておるそうじゃな?」
「すごいね、もうそこまで嗅ぎつけたんだ。まぁ、あれだけ麓でアピールしてれば分かっちゃうか」

試験場はバレていないとタカを括っているのか、特に慌てふためく様子はない。

「それは幻想郷に必要なものか?」
「必要になるんじゃないかな? 人間にとっては特に」
「安全な建物か?」
「安全さ、なんたって外の技術と神の御業のハイブリッドだからね」
「河童はそうは思っておらんぞ?」
「奴らが無知なだけさ。未知だから根拠のない恐怖心を抱く」
「儂ら天狗は、河童の技術に信頼を寄せておる。河童が理解できぬものを許容するわけにはいかぬ」
「反対っていうけど具体的に何するつもりさ?」
「守矢への土地の売買の一切を禁じ、天狗・河童の作業員の派遣も許さん」
「そんな事でうちらが止まると思うのかい? 労働者なんて、集めようと思えばいくらでも調達できる。土地なんて何処にだってある。地底に一号目を建てたって良いんだからな」

一歩も引かない諏訪子。

「そなたとは、良き関係を築きたいと思っている。だから包み隠さず話そうと思う」
「なんだよ改まって?」

午前中に仕入れたばかりの情報を天魔は口にすることにした。

「秘密裏に行おうとしておるダムでの発電試験、儂ら天狗はとっくに気づいておるぞ?」
「何の話だ?」
「河童から報告があった、守矢神社の命令で妙な物を作らされていると、断ったら何をされるかわからないから大人しく従っているとな」
「ったく、神奈子の奴、何が信頼できる連中に任せているだよ、完全に筒抜けじゃないか」

多少の脚色を交えながら話すと、あっさり諏訪子は白状した。

「試験所がバレてるってことは、試験も当然させて貰えない?」
「そうなるな。悪いが発電所は建てさせん」

ダムは天狗と守矢の協同管理である。勝手にダムに手を加えたとなれば、守矢の契約違反。どんな懲罰を課せられても文句は言えない。

「あーあ、どうすっかなこれから。早苗だけ連れて夜逃げでもしようかね」

冗談とも本気とも取れる声色で諏訪子は言う。

「今度こそ、天狗と連携をとれんか? 神と天狗では、盟友になれぬか?」
「落ち目の神と組んでもメリットなんてないだろ?」
「そんな事は無い。天狗には足りないものが多すぎる。鬼が去って数百年経った今も、鬼が戻って来る事に怯えている。守矢と固く手を結べば、怯えずに済む日がきっと来る」

二柱の強大な力、計略、先見性があれば、天狗はまだまだ豊になると天魔は考える。

「…」

しばらく諏訪子は考えこんだ後、口を開く。

「発電事業から手を引く条件として幾つか頼みたい」
「構わぬ」
「まず資本の援助だね。先行投資でかなり散財した」
「よかろう。事業撤廃による損害は儂らで補填しよう」
「次に守矢神社への信仰。半強制的に天狗は私達の信者になって欲しい」
「いくら儂でも思想まで決定することは出来ん。どの家にも神棚を置く程度でも良いか?」
「構わない。あともう一つだけ」
「まだあるのか?」
「これからも早苗と仲良くしてやって欲しい」
「お安い御用じゃ。いつでも遊びに来いと伝えてくれ」
「よし決まりだ。私が神奈子を説得する。天狗の信仰が手に入るなら納得すると思う」

諏訪子は手を差し出すと、天魔はその手を握る。

「ここ最近、ずーとダムの事で不安だったから、なんだか解放された気分だよ」

手を離してどかりと座る。憑き物が落ちたかのように、諏訪子は穏やかな、見た目相応の笑顔を天魔に向けた。

「正直、天魔様とは争いたくなかったんだ。そうならなくて良かったよ。姫ちゃんと早苗も友達みたいだし」
「儂もじゃよ。あの二人が成長する頃には、天狗と守矢の結束も生まれよう」
「しっかし河童の連中も度胸あるな。後で祟り神からキツーイお灸を据えられると思わなかったのかね?」
「その話、実はついさっき仕入れた情報でな。実はこれから対策について話し合う事になっておった」

すかさず河童のフォローを入れる。本当に怒りの矛先が向いてしまうのを防ぐためである。

「ハハッ。なんだよ。カマ掛けられたのかよ」
「すまない」
「良いよ良いよ、今となっては過ぎた話だ。早苗にとっても、こうなってくれて良かった」

大きく伸びをしてから立ち上がる。

「さてと、じゃあこっちは団子でも買って帰るよ」
「神奈子神によろしく頼む」
「任せといてよ。あっそうだ」

思い出したかのように諏訪子が振り返る。

「ッ!?」

天魔は体の内側が、熱くなるのを感じた。
熱さの後、遅れてやってきたのは激痛だった。

「お、ぬ…し」
「耄碌したな天魔ちゃん。『これから対策』だって? じゃあ、今、全ての采配を下すアンタを殺っちまえば、時間が稼げるわけだ」

諏訪子の手が、天魔の腹を貫いていた。

「こっちは発電所が起死回生の一手なんだよ。早苗の命を保守派の的にしてでも進めてきた。半端な覚悟で邪魔しないでもらおうか?」

諏訪子の手が、臓腑をかき回し、臓器を一つ一つ掴んでは握り潰していく。

「悪く思わないでよ。一号目の建設に全財産を賭けてる。一号館が頓挫した瞬間、私達は無一文どころか負債しか残らない。可愛い早苗を路頭に迷わせるわけにはいかない」
「っぉ…」

天魔は、自身を貫く諏訪子の腕を掴む。

「こんな事…を、して、ただで済、むと…」
「思うさ。目撃者がいなければ、犯人が誰だかわからなければいい」
「ただでは…死なんぞ?」

万力のような力で、掴んでいた諏訪子の二の腕部分を握る。

「恨み、祟る、の…は、お主だけ、の特権だと……思うな」
「離せよ」

腕を腹から乱暴に引き抜き、その手を払う。

「肺と心臓は勘弁してあげたよ。別れの挨拶くらいは必要だろうし」

諏訪子の視線の先、繁みと繁みの隙間から、こちらに歩いているはたての姿があった。

「アンタとはお互い、良き理解者になれると思っていたんだけどね。残念だよ」

諏訪子の身体はまるで地面に埋まっていくかのように沈んでいき、やがてその姿を消した。






「ぐっ、ぉ」

天魔は体を起こすと、這って最初に座っていた位置に戻った。
傷口を押さえ、はたてが来るのを待つ。
赤みがかった砂利のお蔭で、滴った血は目立たなかった。







「二本、おまけして貰えましたよ」

天魔の隣に座り、団子が乗った皿を置く。
はたてが座った位置は、諏訪子に刺された箇所の反対側だったため、怪我に気付くことはなかった。

「いただきます」
「全ては儂の自己満足じゃった」
「天魔様?」

三色団子の串を取ろうとしたはたての手が止まる。
怪我を悟られぬよう努めながら、天魔は語りだす。

「昔、儂には何人も娘がおったが。天魔の血筋はその強すぎる力ゆえか、殆どが精神や体に異常を抱えており、その多くが短命だった」
「あの?」

はたてが不審に思っているが、構わず続ける。

「娘の一人が男の子を生んだ。娘は彼を生んですぐに死んだ。残されたその子供は成長し、やがて妻を娶り、その妻の中に命が宿った。しかし、わが子が生まれるよりも先に病で死んだ。
 妊娠中に夫に先立たれた事で妻は精神を病み、無事に子は生まれたものの、とても育児ができる状態ではなかった。だから儂はその子を引き取り、娘のように扱った」

天魔にとっての曾孫こそが、はたての母に当たる人物であるが、何も知らされていないはたてに、察せられるワケがない。

「優秀な子じゃった。教えたことはすぐに吸収し、好奇心も強く、自分で考え解決する力もあった。まさに神童じゃった。体が弱いという点を除けばな」

徐々に意識が薄まっていく中で、懸命に頭と口を動かす。

「病弱であったが、己の体とうまく付き合い、高名な術師として名を馳せた。このままいけば儂の全てを継承してくれると信じておった」

この頃が彼女と過ごした日々の中で最も楽しかった。今のはたてと過ごす日々のように。

「そろそろ所帯を持っても良い年頃だと思い縁談を勧めようと思った。血筋や家柄を考慮して最適の相手を見つけ、いざ紹介しようとした矢先、アヤツはどこの馬の骨とも知らぬ男を連れてきた」

あの頃の自分がどうかしていた事に、長い時間をかけてようやく気付いた。

「儂はやつを一方的に絶縁し、追い出した。儂の元を離れれば満足に療養できぬということを知りながら。
 本人は懸命に生きたが案の定、わが子が独り立ちするよりも先に逝ってしまった」

はたてが辺りを気にしだす、どうやら血の匂いに気付いたようだった。

「残された娘は、今でこそ風を操る鴉天狗と千里先を見る事ができる眼を持った白狼天狗に出会い、青春を謳歌しておるが、辛い時期を過ごしていた」
「え? あの、それって」

匂いの出所を探してたはたての視線が、天魔に注がれた。

「お主の母は、儂の曾孫にあたり、その娘であるお主は儂の玄孫にあたる」

ここまで語り、とうとう限界を迎えた天魔の身体は傾き、はたてに受け止められる。

「死ぬ前に伝えられて良かった」
「なに、これ?」

天魔を抱き留めたはたての手が真っ赤に染まっていた。

「天魔様!? 怪我をっ!?」

血の匂いの元がどこか、今になって気付く。

「はたてよ」
「早くお医者さんにっ!!」
「聞くんじゃ」
「血が…血がこんなにも…」
「聞け!!」
「っ!」

パニックを起こしかけていたはたての精神が、天魔の一喝で均衡を取り戻す。

「覚えていないだろうが、幼い頃のお前に、儂は酷い事を言ってしまった。そして、お前の母にしてしまった事は、到底許されることではない。
 あの頃の儂にもっと寛容さがあれば、お前たち母子はいつまでも仲睦まじく暮らせていた」

天魔の表情が、母の今際の姿と重なって見えた。
その表情に込められているものと、これからどんな言葉が零れだすかを、はたては知っている。

――― やめて。

小さな手が、はたての頬に触れる。

「綺麗な目じゃ。優しい、温かい感じがあの男にそっくりじゃ」

――― やめて。

幼い頃に負った心の古傷が疼きだす。

「許されんとはわかっておる。だがどうか、言わせて欲しい」

――― やだ、聞きたくない。

はたてがそう願うも、その言葉は天魔の口から紡がれた。

「すまなかった」

その言葉を発した直後、天魔の全身から力が抜ける。

「貴女までそんな言葉を私に残さないで!!」

両目にいっぱいの涙を溜め、はたては叫ぶ。

(ああ、なんじゃ、そういう事か…)

霞んでいく視界の中にはたてが映る。何を言っているのかは聞こえないが、とても悲しい顔でこちらを見ている。

(儂は怖かったんじゃな。はたてに嫌われるのが、真実を知って拒絶されるのが。今の関係が崩れてしまうのが)

何故、今まではたてに真実を告げる事を躊躇っているのかが、死の淵でようやく理解できた。

(伝えられて良かった)

穏やかな表情を浮かべ、天魔は崩れ落ちた。









守矢神社の本殿。

「ずいぶんと思い切った事をしてくれたわね」

上座に設けられた、神を祀る為の段に腰かける神奈子が、諏訪子に非難の視線を向ける。

「緊急事態だ、しょうがないだろ。そもそもお前がもっと慎重にやっておけば、試験場はバレなかった」
「それでも他にやりようがあったでしょうに」
「パラジウム合金と同じ性質を持つように改造した御柱は一本だけなんだろ。それを潰されたら私達は路頭に迷うしかない」
「かもしれないけど、普通殺害する?」
「天魔は発電所に強く反発していた。アイツは一度やると言ったら絶対に曲げない。アイツがトップの内は、この山に発電所の柱一本建たないだろうさ」
「まぁ良いわ。起きてしまった事はもう覆せない」
「それでどうする? 私の首を差し出して手打ちにでもするか?」
「馬鹿な事を言わないで頂戴」

言って、神奈子は数匹の鴉を天井の小窓から飛ばした。
いずれも守矢側に着く天狗の伝令に使う鴉である。

「一度、守矢派の連中を集める」
「集めてどうする?」
「天魔を刺した所は、誰にも見られていないのよね?」
「ああ、近くにお姫ちゃんはいたけど気づかれていないよ」

もともと天魔が内緒話をするために選んだ場所だったため、辺りの目線の遮断は完璧だった。

「じゃあ姫海棠はたてが天魔に一服盛った後に刺したって事にして、天狗どもに捕まえて貰いましょう。それで解決ね」
「正気か?」

守矢派には天狗社会に発言力のある幹部も数名属している。はたてに無実の罪を被せる事など造作もない。

「そこまで非情じゃないわ。天狗内部がしばらく混乱して機能停止してくれればそれで良い。頃合いを見て、誤解だったと通達するわ」
「絶対だぞ? 無実のあの子を打ち首に追い込んだら、お前でも祟るからな?」

その後、招集した守矢派の面々に、天魔が弟子に刺されたという事を告げ、逃走中の彼女を捕えるよう命じた。

「諏訪子、お前さんも姫海棠はたてを探して来て頂戴。私はこれから試験場に向かって発電の試験を行う。予定よりずっと早いが仕方ない」
「今はそんな状況じゃないだろ。発電所の計画は天魔殺しの捜査を掻い潜ってからじっくり始めれば良い」
「試験は今でなければならない。天魔の意思を継ぐ連中に今後も邪魔されることを考えたら。試験だけはどうしても済ませておきたい」

天狗内部が混乱している今を置いて、試験のチャンスは二度とないと神奈子は判断した。

「それに、天魔が消えて統率を失った天狗など、無駄にプライドが高いだけの烏合の衆。ちょっと妨害するだけで、犯人なんて一生特定できないわ」

逃げ切る自信があった。

「早く行きなさい。姫海棠はたてが私達以外に保護されたら厄介よ」
「わかったよ」

諏訪子は本殿を出ようとする。

「トドメは刺さなかったみたいだけど、ちゃんと殺せたんでしょうね?」

それだけは確認しておきたかった。

「問題ない。腹を抉った時に、猛毒を打ち込んでおいたからね」
「猛毒?」
「祟りや恨みの塊さ。かつてダム騒動の時にお前が呑まれてしばらく動けなくなったのがあったろう? あれを濃縮したやつさ。妖怪も神も精神攻撃に弱いからね。もう助からないよ」

諏訪子は手の平からコールタールのようなモノを生み出して、すぐに引っ込めてから、本殿を出た。





諏訪子は廊下を進んでいると。

「くっ!」

突如、右腕に激痛が走り、その場に膝を突いた。
腕をまくると、そこには天魔の手の痕がくっきりと残っていた。

「祟り神すら祟るか。敵ながら天晴だったよ」

痛みが引いたので再び歩き出す、早苗の部屋の前で彼女は止まった。

「さーなえっ♪」
「あっ、諏訪子様」

無性に彼女の顔が見たくなったため、出立前に立ち寄った。

「明日は早朝から人里に行くんだろう。そろそろ寝なくてもいいの?」
「もう少しだけ。最近、信仰の集まりが芳しくないようなので」

早苗は人里の人間に配るための、妖怪避けの御札を作っていた。

(少し痩せた?)

ここしばらく、神奈子も諏訪子も発電事業にかかりきりになっており、巡業は早苗一人に任せっ放しになっている。
そのせいだとわかった。

「諏訪子様?」

気付けば諏訪子は、早苗を背後から抱きしめていた。

「苦労ばっかりかけてごめんね」
「いえ、そんな事」
「もう少しで、カタがつくからさ」

耳元でそう囁き、離れる。

「あの、カタとは一体?」

振り返ると、諏訪子の姿はそこにはなく、廊下から小さな足音が聞こえた。








妖怪の山で最も大きな診療所。
天魔が治療を受けている部屋に続く廊下を、大天狗は足早に進む。

「もっかいちゃんと状況を説明して」
「はい」

天魔に使える女中が、現場を目撃した者から聞いた話を伝える。

「夕方、団子屋の近くで女の子の叫び声が聞こえて、周囲にいた者達が集まった所、血を流す天魔様を抱える女の子がいたそうです。
 たまたま集まった者の中に医術に精通した者がおりまして。その場で応急処置をした後、最も設備が充実しているこの診療所へ運びました」
「天魔ちゃんを抱えていた女の子は?」
「応急処置の最中、急に姿を消したとか、とても速く、誰の目にも追えなかったそうです」
「そう」

大天狗も女中も、その少女については心当たりがあった。

「その女の子が天魔ちゃんを刺したワケじゃなさそうね」
「はい。恐らく、何者かに負傷させられた天魔様を、一番最初に見つけたのでしょう」
「で、気が動転しちゃって飛び出したわけか」

二人ともはたての事を心から信頼していた。

「あと、目撃した連中なんだけど。緘口令敷いた?」

天魔が重傷を負ったことを口外されては都合が悪い。

「消えた少女以外の全員には、閉口の誓約書を書かせました」
「じゃあとりあえず、そいつらの口から漏れる事はなさそうね」

治療室の前に辿り着き、誰の了解も得ることなく扉を押し開ける。
部屋の中では四人の医者が、天魔に懸命に処置を施していた。

「うっわ、マジで死にかけてんじゃん」

大天狗は目を細め、天魔の身体を霊視する。彼女の中の妖力が、まるでか細い蝋燭の先に灯る火のように、今にも消えかかっていた。

「助かるんでしょうね?」

部屋の隅にいる、先ほどまで執刀し、手を休めていた医者に話しかける。

「傷が塞がりません」

彼の割烹は天魔の血で真っ赤に染まっていた。

「いくら掛かってもいいから河童の秘薬をかき集めなさい」
「薬があっても、妙な毒のせいで、傷の治りが妨害されています……臓腑の多くを損傷し、ほとんど手の施しようがありません」

大天狗は、彼がこの山でも一二を争う腕の持ち主である事を知っていた。
そんな彼から諦観に満ちた声色で告げられた。

「………そっかー」

長い、長い息を吐いてからベッドの上の天魔を見詰める。

「あとどれくらい持つの?」
「夜明けまで持つかどうか」
「わかった。あんたら外でちょっと休んでなさい」

女中と医者たちを下げさせて、病室で天魔と二人きりになる。

「なんて終わり方してんのよ?」

いくつもの管に繋がれて目を閉じる天魔の顔を覗き込む。

「一緒に甲子園に行こうって約束したじゃない。ピッチャー天魔ちゃんの260kmの剛速球をキャッチャーの私が受けて190kmで返球して、球児達の度肝を抜いてやろうって誓ったじゃない」

下らない冗談を言うといつもなら返ってくる突っ込み。それが今は無い。

「起きなさいよチビ助、永久幼女、ロリコン製造天狗、なんちゃってロリババア、幼稚園児」

本人が激昂する言葉を並べても、眉ひとつ動かさない。

「鬼が山からいなくなった時に決めたじゃん。この碌でもない天狗社会を、貴女が表から、私が裏から変えて行こうって、まだ全然途中でしょうが」

大天狗は泣きそうな顔になった。

「それにはたてちゃんはどうするのよ? あの子が貴女を本当に必要とするのは、これからなのよ?」

それでも天魔は微動だにせず、大天狗はベッドのすぐ脇にあった椅子に座り項垂れる。

「寂しくなるわね、これから」

点滴の音が聞こえる程の静寂が、部屋を支配した時。

「どんよりした空気。私は嫌いじゃないけれど、貴女はどうかしら?」
「ッ!?」

まるで初めからそこに居たかのような自然な仕草で、鍵山雛は天魔の顔を覗き込んでいた。

「いつから死神と掛け持ちするようになったのかしら雛姉さん?」
「あら、私は昔から厄神一筋よ?」
「出てってくんない? 今、お喋りできる雰囲気じゃないのわかるわね?」
「それは出来ない相談ね。私は役目を全うしないと」
「役目?」

無理矢理縫合されている天魔の腹の傷口に触れる。
すると傷口から泥のような、黒いネバついた液体が次々湧き出しては浮き上がり、雛の周りを漂ってから霧散した。

「悪い“モノ”はこちらで引き受けたから、あとは彼女の頑張り次第ね」

雛が取り去ったのは、医者からの報告にあった『治癒を妨害する毒』だと大天狗は察した。

「何を吸ったの?」
「祟りや恨みがそのまま毒になった物とでも言うのかしら。人間の精神すら容易く汚染し、妖怪や神をたちどころに衰弱させる」

大天狗は再び天魔の身体を霊視する。彼女の中の妖力が徐々に増えていくのが見えた。

「ありがとう。どうお礼したら良いか」
「良いのよ。厄を引き受ける、それが私の役目だもの」
「ところで、今吸ってくれた毒ってどこで手に入るの? 誰でも扱えるもの?」
「呪術の類でしか生み出せないわ。この純度の毒は相当精通してないと作れないでしょうね。作れるとしたら高度な技術と広い工房を持つ呪術師か、あるいは…」
「あるいは?」
「祟り神の統率者」

それを聞いた瞬間、大天狗は出口に向かう。

「どこに行くの?」
「天魔ちゃんの腹に穴開けた奴んトコ。落とし前つけさせて来るわ」
「いくら貴女でも、守矢の神に勝てるとは思えないけど?」
「勝てなくても、風祝ぶっ殺すか、神社ぶっ壊すくらいできるでしょ」
「とても天狗社会の第二位の発言とは思えないわね? ここで指揮を執るのが役割ではなくて?」
「生憎と、私が頭に血が登った時に、諌めて冷静さを取り戻させてくれる子は、そこで寝てるわ」
「どうしても行くの?」
「天狗に仇なす者を討つのが大天狗の役目だから」
「そう。じゃあ仕方ないわね」

背後にいると思っていた雛が次の瞬間には大天狗の正面に現れ、その懐に触れる。

「邪魔しようっての?」
「逆よ。悪あがきの手伝いをしてあげる」

雛の手には、大天狗が懐に入れていた筒があった。

「なかなか厄いモノを持っているわね」

筒から出て来たのは、椛の本名が書かれた戸籍表だった。

「ここまで厄いモノ、そうそうお目にかかれないわね」
「そんなにすごいの?」
「何百年も絶えず恨みや後悔といった具材を放り込み、煮込み続けたシチューみたいなものよ」
「良くわかんないけどヤバイって事はわかった」
「恨み辛みを溜めこむのに、これ以上うってつけのモノはないわね」

雛の指先から、コールタールのようなドス黒い液体が発生して、紙に染み込んでいく。

「何してるの?」
「天魔様の中に入っていた毒を、この紙に移してるの」

真っ黒に染まった戸籍表だったが、雛が息を吹きかけると、元の白い状態に戻っていた。

「はい、これでこの紙は、触れた相手に祟りをもたらす呪われたアイテムになったわ。八坂神奈子と刺し違えても良いと思ったら、使ってね」
「何が起こるの?」
「貴女に恨みをもって死んでいった子達が、貴女を迎えに来てくれるわ」
「私にとっちゃ、ご褒美ね」

紙が納められた筒を受け取る。

「悪いわね、ここまでしてもらって」
「友達だもの、遠慮しないで。そろそろお暇するわね。あまり長いすると、そちらに悪影響でしょうし」
「辛い仕事ね」
「私がこうして存在できているという事は、どこかで私に感謝してくれている人がいるという事。それだけで、私には十分」

筒を懐に仕舞い治療室から廊下に出た大天狗は、すぐ近くで控えていた女中に声をかける。

「医者たちに天魔ちゃんの毒は取り除いたって伝えといて。的確な処置をすれば、数日で目を覚ますわ」
「呼んできます!」

大急ぎで医者たちがいる部屋に向かった。

「助かったのですね天魔様は」

つい先ほど駆けつけた大天狗の従者は胸を撫で下ろす。

「ちょっと出かけてくるわ。幹部連中には朝まで誰も動くなって命令しといて、動いてる奴は守矢と見なして切り捨てるから」
「いつ頃帰ってきますか?」

主従の間で何時も行われている、日常的なやりとり。

「早ければ明日の朝。遅ければそうね…」

しかし、この時だけは、いつもと違う回答をする。

「来年のお盆には帰ってくるわ。河童の村長から長いキュウリ貰って、飾っておいて」

刺し違える覚悟はすでに出来ていた。

















哨戒部隊の詰所。
部下から受け取った日誌に椛は目を通していた。

「ご苦労だった。もうすぐ夜勤組の連中が来るから、それまで気を抜くなよ」
「うっス!」

椛から日誌を返された短髪の少女は、詰所の入口にある棚に日誌を置きにパタパタと走って行った。

「アイツもようやくまともな文章を書けるようになったか」
「最初の頃は酷かったですもんね。根気よく指導した甲斐がありました」

隣にいる文が感慨深い表情で、噛みしめるように相槌を打つ。

「それにしても、一体どうしたんでしょうかはたてさんは?」

詰所の奥に目をやる。はたてはそこで膝を抱えて俯いていた。

「一人で河原をふらふらと歩いていたので声を掛けたのですが、その時からずっとあの調子で」

文が保護してここまで連れて来ると、のそのそと歩き出してあの位置に座った。

「はたてさんのシャツなんですが、文さん気付いてます?」
「ええ、わかってます」

はたての脇腹あたりに赤い染みが点在していた。
昨日、椛の家で洗濯した時にはなかった。

「何かの事件に巻き込まれたんでしょうか?」
「何度か話しかけてみたんですが、全くの無反応で。あれじゃあまるで…」

引篭り時代に戻ってしまったようだ、と言いそうになり、口を噤んだ。

「今はそっとしておきましょう」
「そうですね、一晩様子を見ましょう」

「すみません隊長」

話す二人の元へ、隊員の一人が駆け寄ってきた。
椛の隊の中で最も聴力の優れた、非常に高い索敵能力を持った隊員である。

「どうした?」
「西の方より七人。こちらに向け歩いてきています。全員、天狗かと思われます」
「そうか」

謎の来訪者が、はたてとは無関係である事を願った。




素性のわからぬ天狗の集団は詰所の前で立ち止まると、戸を静かに叩いた。

「何のご用でしょうか?」

椛が一人、外に出て彼らと対面する。

「隊長はいるか?」
「私ですが?」
「貴様が隊長だと?」

筋肉隆々の男が出てくると想像していたのだろう、来訪者達は一斉にいぶかしむ。

「まぁここは辺鄙な所、大方落ちこぼれの寄せ集めなのでしょう」

一人がそんな事を呟くと、他が小さく噴き出した。

「雁首揃えてこんな場所まで如何しました?」
「同族を探している。この辺りで目撃情報があった」
「どなたでしょう?」
「姫海棠はたてという。長い髪を両側で結った若い鴉天狗だ」
「…」

椛は感情を表に出すことなくただ頷く。

「何故その方を?」
「貴様は知らんで良い」
「それでは協力できかねます。最近は若い女子を手籠めにする輩が徘徊しているとお触れも出ておりますし」
「無礼な。我々は大天狗様直属の部隊である。貴様らは黙って従えば良い。これがその証である」

厚手の和紙の書状を見せる。

「これは大変失礼しました」

恭しく頭を下げた。

「貴様の隊から目と耳の良い者を案内人として我々に…」
「あの、実はですね。少し前に私の隊の者が、衰弱した鴉天狗の少女を滝で見つけて保護致しまして」
「それは誠か!?」
「今は中で眠っております」
「確認させてもらうぞ」
「お待ちください」

入ろうとする一行を椛は制した。

「先ほどまでひどく怯えておりました。僅かな物音で目を覚ますかもしれません。お一人だけ入っていただいて確認した方が良いかと」
「よかろう」
「ではご案内します」

椛と話している男だけを招き入れ、詰所の戸を閉める。戸が完全にしまった瞬間、椛は音もなく動いた。
男の胸ぐらを掴みつつ足を払い、顔面から床に叩きつける。

「大声を出すな。首を落とすぞ?」

声に込められた殺意が、それが単なる脅しでないことを伝えていた。

「嘘ならもっと上手く吐くんだったな。大天狗様の直属部隊なんてとっくの昔に解体してるし、あの認可証も様式が全然違っていたぞ」

大天狗に最も近しい存在である椛が、そんな即席の嘘に騙されるはずがない。

「その鴉天狗の少女とやらに何の用だ?」
「わかった、身分を偽った事を詫びよう。そして正直に話そう」

その言葉で、椛の腕がわずかに緩む。
次の瞬間、男の手の中にあった札が薄く光った。
それが外にいる仲間に異常を知らせる札だとわかったが時すでに遅く、戸が蹴破られ、武装した天狗達が飛び込んで来た。

「やれ! ここにいる連中を皆殺…」

言葉の途中、後頭部に椛の本気の拳骨を受け、男は気を失った。

「貴様らどこの組のモンじゃぁぁ!!」
「出入りだ出入り!!」
「やんのかコラァ!!」
「天狗の国に連れてくぞごらぁぁ!!」

椛が男を捕えた時点で他の隊員達も臨戦態勢をとっており、乱入者を迎え撃つ。

「なんだこの白狼天狗ども!? 強いぞ!」
「距離を取れ! 吾輩の術でまとめて…」
「やめんか馬鹿! 我らまで巻き込む気かっ!?」

個々としては優れた能力を持っているようだが、狭い室内に接近戦ということもあってか、その力が全く活かせずに壁際へと追いやられていく不審者達。
丁度やってきた夜勤組も乱闘に加わり、彼らは隊員達の木刀で袋叩きにされた。

「怪我をした者はいるか?」

全員を拘束し、縛り上げてから被害状況を確認する。

「軽い打撲が三人、他はいません」
「そうか」

良かったと心から安堵する。

「あの隊長」

一人がそっと耳打ちする。

「どうした?」
「お嬢なんですが、今の騒ぎの時に窓から抜け出したみたいで」
「なんだと?」

先ほどまではたてが座っていた場所を見ると、無人になっていた。

「射命丸様が彼女の後を追って一緒に外へ。そこから先はわかりません」
「よく知らせてくれた」

はたての方は文に任せ、椛は状況の把握に努めることにした。

「お前たち。どうして姫海棠はたてという少女を探す?」

意識を取り戻した指揮官の男に問う。

「誰が貴様らに教えるものか」

睨み返してきた。

「そうか、なら仕方ない」

椛は彼の襟を掴み、詰所の外まで出ると地面に放って転がした。

「なんのつもりだ!?」
「あれ持って来い」
「はい」

返事をした隊員は詰所の裏から液体で満たされた桶を持ってくる。

「これから本格的に寒くなるから、出来ることなら使いたくないんだが」
「うぶっ」

受け取った桶を、そのまま指揮官の頭にかけた。
あたりに頭痛を誘発する異臭が漂う。

「焼き鳥は好きか?」

彼のすぐ足元、液体が浸み込んだ地面の上に、火のついた蝋燭を一本立てた。

「今すぐどけろ!」
「あまり騒がない方がいいぞ? 細い蝋燭だ、簡単に倒れる」

いつ引火するかわからないという恐怖が男を襲う。

「話す、話すから、火を消せ!」
「そっちが喋るのが先だ」
「わかった」

指揮官の男は、天魔が重傷を負い、その下手人がはたてである事を告げた。

「誰の指示だ? 大天狗様の偽造証を持っていたんだ。大天狗様ではあるまい」
「…っ」
「言いたくないなら別に良い」

踵を返し、部下を引き揚げるよう促すと、自分も詰所の中に歩いていく。

「おい何処へ行く!?」
「続きは中にいるお前の部下から聞くとしよう。お前はせいぜい蝋燭が倒れぬよう大人しくしていろ」
「戻れ! 倒れずとも、このままでは気化して引火するんだぞ!」
「そんな事は知らない」

言って、詰所の戸をピシャリと閉めた。

「八坂神奈子! 我らにそう命じたのは八坂神奈子だ!!」

詰所の中にいる椛に聞こえるよう、そう叫んだ。

「そんな事だろうと思った」

詰所の中で、得心いったと頷く椛。

「隊長、あいつ放っておいても良いんですか? 本当に火だるまになっちゃいますよ?」
「奴が被ったのはただの井戸水だ。奴が目をつぶった時に、塗料の溶剤(シンナー)をあたりに撒いた。それを勝手に勘違いしてるだけだ」
「今の話、本当なんでしょうか? お嬢が天魔様を」
「はたてさんがそんな事するわけないだろう。守矢が自分たちの犯行を誤魔化すために、デマを流したに決まっている」

椛は剣と盾を背負い、使えそうな小物を巾着に突っ込み腰から下げる。

「私は大天狗様に報告して事実確認とこれからの指示を仰ぐ、それまでこいつらを見張っていてくれ」
「了解です」
「抵抗されると厄介だから、何人か適当に選んで耳と鼻を削いで逆らう気を奪っておけ」
「それはちょっと」
「あとそれと」

出発する直前。はたてが出ていった窓に椛は足を掛けてから、一度振り向いた。

「さっきの戦い方。個々の動きも連携も申し分ない。頼もしかったぞ」

彼らを面と向かって褒めたのは、これが初めてだった。

「お前達を部下に持てて、私は運が良い」
「隊長…」
「行ってくる。留守は任せた」
「お気をつけて!!」

気恥ずかしさで頬が紅潮しているのを気取られぬ内に、椛は身を翻して夜の山を飛んだ。















(なんか急に騒がしくなってビックリして、思わず飛び出して来ちゃったけど…)

自分を追っていた連中と、椛の部隊が交戦したとは夢にも思っていなかったはたて。
椛の詰所から飛び出した彼女は、今日の昼、天魔と最後に言葉を交わした水路の前までやって来た。
他に行先が思い浮かばなかった。

(少しだけ、落ち着いたかもしれない)

事件から数時間、ようやく考えるだけの気力が戻って来た。

(天魔様がああなったのに、みんないつも通りだった)

誰も天魔の一大事など知らず、日常を過ごしており、緘口令が敷かれているのだとわかった。
周りがあまりにも普段通り過ぎて、昼間の出来事は、自分が見た悪い夢なのではないかと思えてしまう。

「血の痕、まだ残ってる」

しかし、砂利に付着し固まっている天魔の血が、夢でないことを教えてくれた。

(強くなれたと思ったのに…)

しゃがみ、目にいっぱいの涙を溜め、両手で髪を掻き上げる。

(私、全然成長してない。ずっと弱虫のままだ)

天魔がここで応急処置を受けている最中に、はたては気が動転してその場から離れてしまった。
自身が天魔の玄孫だという事、天魔が母に対して罪悪感を抱いていた事、そして突然の負傷。
考えが追いつかなくなり、受け止めきれなくなった心は恐怖に縛られ、はたてに逃げる事を選ばせた。

(本当に最低だ私)

天魔が刺されたあの場に残っていたら、何かできる事があったかもしれない、自惚れだとは自覚しつつも、そんな事を考えた。

(今、私は、この状況から、どうしたら良いんだろう?)

今自分ができる事を挙げようと試みる。

(あれ、何も、ない?)

しかし、思い浮かぶモノがなかった。
緘口令が敷かれている以上、天魔の安否確認すら出来ない。
このまま大人しくしているしかないのかと諦めかけたその時。

(いや、違う。一つあった)

立ち上がり、カメラを取り出す。

(貴女の仇を討てば、逃げてしまった私を、少しは許してくれますか?)

犯人を見つけ、復讐する。それが今の自分に出来る唯一の選択肢であり、逃げてしまった事への償いだと思った。

(貴女が私の高祖母だから、こうするんじゃありません)

玄孫と言われたが、実感など湧くハズもなく。

(貴女が私の師匠だから、こうするんじゃありません)

弟子だと胸を張って名乗れるほど、立派でもない。

(貴女は私の恩人だから、大切な人だから、私は戦おうと思います)

その瞬間、カメラと頭が見えない糸で繋がった感覚を得た。自分の考えている言葉が、ボタンに触れることなく、ディスプレイに打ち込まれていく。
『天魔』、『怪我』、『犯人』と入力し、検索をかけると、≪該当なし≫という文字が踊った。

「知ってる。さっきもこうだった」

椛の詰所に居た時、何度も検索をかけていた。

「まだ犯人、捕まってないんだ」

大天狗は優秀だ、下手人が誰か分かれば、すぐに捕えている。
捕えたら顔写真を撮るはずである。そうなれば自身の能力が確実に拾う。
それが無いという事は、犯人はまだ特定されていないという事だ。

(犯人を見つけるには、今の能力じゃ限界がある)

新しい情報を得るという点では、彼女の能力はほとんど役に立たない。

(だったら…)

呼吸を整え、感覚を研ぎ澄ます。
天魔の屋敷で行っている日課の瞑想の時を思い出す。

(こういう時の為に、今まで練習してきた)

世界の流れが緩やかになっている事を自覚する。

(よし、ちゃんと出来てる)

日頃の鍛錬の成果か、追い詰められたり、切迫した状況でなければ発動しなかったこの技があっさりとできた。

(今なら普段よりも能力が向上してるはず)

期待を込めて再度検索するが、結果は変わらない。

(もっと集中して、事件のあった時間帯も追加して)

数秒の瞑想の後、シャッターを押す。しかし、結果は伴わなかった。

「駄目か」

そうこうしている内に感覚が正常のものに戻る。
重力が倍になったような疲労感がのしかかる。
しかし、それでもはたては膝を折らない。

(もう一回)

今の彼女はこの能力以外に頼るモノがなかった。

(写るまで何回だって繰り返す)

大天狗の警告を思い出す。
彼女自身、連続の使用は本能的に避けてきたが、今はそんな事どうでも良かった。
罪悪感が恐怖を塗り潰し、理性のブレーキを壊していた。

「ぁっ……、痛ぅぅっ!」

二度目の発動を試みようとして、激しい頭痛と嘔吐感に襲われ、危うく水路の中に落ちそうになる。
月明かりに照らされた水面が、目の前にあった。

(……ん?)

水面に映る自分の顔を見て、ふとある考えが浮かぶ。

(もし『水面に映った映像』を『誰かが取った写真』と私の能力が解釈したら?)

天魔はここで刺された。水面にその時の様子が間違いなく映っている。

(私自身がそう思えば写せるはず)

そもそも念写という能力自体がオカルトで、発動条件に科学的根拠などない。非常にあやふやなものである。
あまり誇れる事ではないが、はたては写真がなぜ撮れるのか、という詳しい理屈を知らない。
自分が“そう”だと思い込めば、それが能力に反映されるのではないかと考えた。

(なんでも映せるなんていう万能な能力に進化させるのは無理でも、発動条件を一時的に緩くすることくらいなら)

この結論に大きな手ごたえを感じる。

(水面に映ったモノを写真として扱う)

再び、脳のリミッターを外す。激しいノイズが聞こえるが全て無視する。
限界を迎えた左目の充血が、白目を赤く染める。

(大丈夫、きっとうまく行く。出来る、出来る、出来る、出来る)

成功するというイメージを強く持って、シャッターを押す。

(出来た?)

画面には『該当なし』の文字ではなく、一枚の写真が写っていた。
水面に反射したぼやけた画像だったが、その時の様子がしっかりと捉えられていた。

(この人が天魔様を…)

そこまで驚きはしなかった。むしろ納得だった。
画面には天魔の腹を抉る洩矢諏訪子の姿が写っていた。

(探そう、諏訪子様を…)

方針が決まったその時だった。

「ん?」

自分に向かい、何かが急接近している事に気付く。まだ効果は続いていたため、飛来物の動きが非常にゆっくりに見えた。

(虫? じゃない、矢だ)

じっくり観察した結果、それが凶器だとわかり、咄嗟に身体を動かそうとしたが、無理に念写をした影響かうまく飛べず、足を滑らせて今度こそ水路に転落した。














大天狗は、巨躯の白狼天狗の男を引き連れて歩いていた。

「悪いわね。強くて死んでも良い奴っていったらアンタしか思い浮かばなくて」
「いえ、本望です」

天魔が収容されている診療所を出た大天狗は、戦力として彼を徴収した。
二人が目指す先にはダムがあった。

「なぜあそこに八坂神奈子がいるとお考えで?」
「天魔ちゃんを刺した容疑者にされれば、発電の試験はとても出来ないわ。だから、天狗社会が本格的に動いていない今、試験を強行するしかないってワケ」

大天狗は神奈子の行動を看破していた。

「こういう時、モミちゃんみたいな目があると、八坂神奈子の先手が打てて便利なんだけどねぇ」
「なぜ」
「あ?」
「なぜ、大天狗様は当時、組合が解体されてから、俺ではなく犬走椛を傍に置こうと考えたのですか?」
「今、それ重要?」
「死ぬ前に知っておきたい。同じ女だったからですか? それともあの眼が便利だから?」

どういった理由から自分よりも彼女を高く評価したのか、これがわからないまま死にたくはなかった。

「ん~~~」

面倒臭そうに頭をガシガシと掻いた。

「アンタとモミちゃんを呼びつけてさ、『今この場で決闘しろ』って言ったら、どっちが勝つと思う?」
「俺です」
「そうね。じゃあ、呼びつけてから『一週間後に決闘しろ』って言ったらどっちが勝つと思う?」
「俺…」
「モミちゃんよ」

断言した。

「脳筋なアンタが一週間素振り続ける間に、あの子は生き残るためにありとあらゆる手を尽くすわ。どんな情報でも利用する。
 試合場の下見なんて常識だし、私に色々と尋ねてくるでしょうね。『使用して良い武器』とか『具体的な開始時間』とか『雨天の場合はどうするのか?』とかね」

自分の命が掛かると、彼女は恥や遠慮を捨てる。
禁止でなければ武器に火薬を仕込んだり、バレなければ試合前に毒を盛るくらい平気でするだろうと大天狗は予測する。

「一週間もあれば、アンタの癖とか過去に負傷した経歴とか、師匠が誰かも徹底的に調べ尽くすわ。素振りなんて無駄な事は絶対にしない」

椛は自分が生き延びる為の必要な条件を見極め、それを揃える為にどう動くことが最善かを、考える力を持っていた。

「私はあの子のそういう所を評価したの、アンタの腕っぷしよりも高くね。納得した?」
「それを聞いて安心しました」
「なにが?」
「単純な力では、俺の方を評価してくださっていたからです」
「当たり前でしょ。でなきゃ、毎回殴り込みに行く時にこうやって指名するワケないでしょうが」

彼は誇らしげに頷く。
二人の視線の先、ようやくダムの壁が見えて来た。







大天狗の屋敷に向かうはずの椛だったが、今は木を背にして身を隠していた。
木を一本挟んだ向こう側の道を、数名の天狗が徒党を組んで歩いていた。

(こいつらも、はたてさんを探しているようだな)

集団の中に一人、見知った者を見つけ、彼らが守矢に組する者達だとすぐわかった。

(まずいな)

彼らが向かう先には、自分の隊の詰所がある。辿り着けば戦闘は避けられない。

(さっきの連中よりは少数だが、手練れが揃ってる)

先ほどは軽傷が数名で済んだが、今度はその程度で終わらないだろう。

(かといって、この状況じゃ、詰所に引き返すこともできない)

彼らの立っている道が詰所までの最短ルートである。
気付かれず先に詰所に戻るのは至難の業だった。

(どうすべきか)

椛には二つの選択肢があった。
一つは、このまま彼らが通り過ぎるのを待ち、去ってから大天狗と合流。
部下たちが犠牲なるが、大天狗にすぐ情報が伝わり、天狗にとって有利な状況を作りやすくなる。

(それは出来ない)

少し前の彼女なら迷わずに選択していたであろうその案を捨て去る。
故に椛は、もう一方の道を選んだ。

(腹を括ろう。あいつ等を死なせるわけにはいかない)

巾着から、手の平に乗る小さな木箱を取り出すと、握った。
木箱の中には戦いを有利に進められる物が入っていた。

(やはり勇気がいるなこれは)

いざ振りかぶろうとした時、手が震えだした。
絶対に投げる。その気持ちは揺るぎないが、恐怖を抑えることが出来ない。

(当然か、これを投げたら、戦いが始まってしまうんだから)

そう考えた時、その言葉は誤りだと思った。

(そうだな、『始まってしまう』という表現はおかしい)

椛は微笑む。手の震えはもう止まっていた。

(だって、私の、犬走椛の戦いは…)

脳裏に、両親の首を晒された日の光景が鮮明に浮かび上がる。

(あの時から、とっくに始まっていたじゃないか)

手の中にあった木箱は、狙いに寸分の狂いもなく、彼らの真ん中に落ちた。

(『光と闇の狭間にこそ、本当の無明がある』とは誰の言葉だったか)

箱の中には、にとりに調合して貰ったマグネシウムと酸化剤が入っており、落下の衝撃で混ざるようになっている。

「なんだ?」

突然降ってきたそれに、一同の目が釘づけになる。
その瞬間、カメラのフラッシュと同じ原理で、閃光が発生した。

「っ!?」

強烈な光が暗闇の中を歩いた彼らの網膜に焼き付き、強烈な痒みを伴いながら視力を奪った。
光と同時に椛は飛び出す。

(全部で五人)

誰も目の前の椛を見ていない事から、完全に視力を失っている事を確信する。

(まずは司令塔を)

集団の中で最も年配の男の顔面を、盾の正面で思い切り殴る。

「ぁぅ゛!!」

鼻骨が折れ、歯が数本散らばったが椛はそれに目もくれず次の獲物の方へ跳ぶ。

「いぎゃ!!」
「うぐぉ!!」

鞘に収まったままの剣を横薙ぎに振り、並んで歩いていた男女をまとめて打った。
視力喪失で受け身もろくに取れない二人は、倒れた先にある木の幹に頭から叩きつけられ、気を失った。

「ーーがッ!」

二人を打ち振るったと同時に剣を捨て、盾を両手で円盤投げの要領で投擲。横回転する鋼の塊が巻物を担ぐ術師らしき男の肩に直撃した。
あたりに巻物をぶちまけながら倒れた彼は、肩が外れた痛みで悶絶し、失神した。

(あと一人!)

四人を一瞬で無力化させることに成功した。素早く剣を拾い、残り一人に視線を移す。

(いない!?)

間違いなく五人いた。しかしその姿がどこにもなかった。

「キェヤァ!!」

真上から奇声。素早く後方に跳ぶと、今いた場所に剣が深く突き立てられた。降って来た男と目が合う。

「はあっ!!」

椛は鞘から剣を抜きながら斬りつける。

「シッ!」

椛渾身の居合を、男は剣から手を離し素早く転がる事で回避した。
転がる男に追撃を加えようとするが、男は器用にも、転がった姿勢からクナイを投擲。クナイは椛の剣の根本に当たり、地面に落ちた。
地面に落ちたクナイには、妙な札が貼られており、字が赤く光る。

「なんだ?」

椛は自分の剣に違和感を覚えた。
大した威力ではなかったにも関わらず、剣は柄の所を起点としてボロボロと崩れていった。

「腐食の術だ。しかし、これほど早く朽ちるとは、白狼天狗の武器は安物ばかりだな」

男は立ち上がり、戻った視力で椛を見据える。

(もう回復したか)

椛は後方に跳び、男と距離を取った。二人の間合いの丁度中間には、先ほど男が突き立てた剣が直立していた。

「貴方が居たから、すぐに守矢派の連中だとわかりましたよ」

気安い口調で椛は話しかける。

「もう退院しても平気なんですか?」

男はかつて『呪われた笛』の噂を信じ、河童の村長から笛のありかを聞き出して神奈子に献上しようと画策した天狗幹部の倅だった。
村長を救出に来た椛と鉢合わせし、一度対峙している。

「お父上はお元気ですか?」
「あの一件ですっかり老け込み隠居し、俺が家督を継いだ」
「それはそれは、おめでとうございます」

抑揚のない声で祝福してやる。

「貴様への恨みを忘れた日はない」
「自業自得でしょう。それに恨みならこっちにもあります。大勢の前で上着を剥ぎ取られるわ、罵倒されるわ、頭に酒ぶっかけられるわ、名前を埖(ゴミ)呼ばわりされるわ」

だからこそ、過去に屋敷で対峙した際は、徹底的に痛めつけた。
医者に担ぎ込まれた彼は酷い有様だった。

「あの日まで俺は負けたことなどなかった」
「そりゃあ、小奇麗な道場で師範代から接待を受けていれば当然です」

実戦・実力不足であることを遠まわしに指摘する。

「違う。誰もが俺を神童と呼んだ。難関と認定された妖術をいくつも習得した。剣術だっていくつもの流派を免許皆伝し、師範代二人掛かりでも負けなかった。和歌や文学でも…」
「…」

彼が話の途中、椛は手元に残った柄を彼に投げつける。彼はそれに動じることなく手で払い落とした。

「これだ! この、こんな姑息極まりない手で、貴様は俺の歴史に泥を塗った!! あの敗北から俺を見る周りの目が変わった!」

男は静かに構える。その身のこなしはとても堂に入っている。

「まともに戦えば俺の方が強い」
「良かったですね、今がその『まとも』な状況ですよ」

実際に彼は強い。幼い頃から英才教育を受けている彼の優秀さは文ですら買っている。決して侮って良い相手ではない。

「その命で償って貰うぞ」
「自業自得だと思わなかったんですか? 天狗でありながら守矢に魂を売った事による罰だと」

会話をしながら椛は頭を回転させる。生き残るための最善手を探る。

「二柱は、天魔と大天狗を遥かに凌ぐ力と、知識、決断力を持っている。勝ち馬に乗っただけの事」
「はたてさんが天魔様を刺したと、本気で信じているのですか?」
「そんな事はどうでも良い。俺は任務を達成し、八坂神奈子からの信頼を得られれば誰がどうなろうと知らん」
「知れば知るほどどうしようも無いですね貴方は。こんな事なら“片方”残しておくんじゃなかった」
「貴様ぁ」

殺気がありありと伝わって来て、脅しではなく、本当に自分を亡き者にしようとしているのだとわかった。

(上手く挑発できたが、やはり丸腰はマズイな)

素手で彼を倒すのは難しいと判断する。

(あれが一番近いか)

二人の間にある、地面に突き立てたままになっている剣を見る。

「良い刀ですね? 貰っていいですか?」
「安くはないぞ俺の刀は」

二人は同時に動く。
椛は男の剣を拾うために前に跳ぶ。
男も、椛と同じ行動を取っていた。妖術を飛ばし椛を迎撃するという手段もあったが、プライドがそれを許さなかった。
椛と同じ土俵で戦い、正々堂々と斬り伏せることで、汚名が雪ごうとした。
鴉天狗だけあって男の方が速く、彼の手が、僅差で先に届こうとしている。

「っ!?」

しかし男の手は空を切った。柄に触れようとした瞬間、椛の下駄が地面に刺さる剣の根本を蹴り払っていた。
蹴られた剣は空中で風車のように回転。椛の手元に吸い寄せられる。
逆手で柄を掴んだ椛は、その切っ先を男の首筋に突き付けた。
男は体を大きくのけ反らせ、息を呑む。

「そんな動き、どこの流派にもなかった」
「当たり前ですよ。ただ剣を蹴って掴んだだけなんですから」

身体を横向きに一回転。独楽のように回り、勢いのついた峰で肩を殴打した。

「おぐぁ!!」

白目を剥く男。骨が何本も折れる感触が刀越しに伝わった。

「この程度で曲がるとは、お坊ちゃまの剣は安物以下だな」

歪んでしまった剣を一瞥してから放り捨てた。

(これからどうすべきか)

守矢派と自分の哨戒部隊の戦闘を未然に防いだ椛は、千里先を見通す眼で周囲を見回した。

椛の眼は様々な人物を捉えた。
ダムで今まさに発電の試験を行おうとする神奈子。
巨躯の白狼天狗の男を引き連れて、神奈子がいるダムへ向かう大天狗。
川辺を歩く諏訪子。
はたてを探す文。
どういうわけか、はたてはどれだけ探しても視界に入らない。

(はたてさんの姿が見えない以上、大天狗様の元へ向かうか)

当初の予定通り、大天狗を目指す。
幸いにも、大天狗に向かう道の途中に、文の姿があった。







(魚が、空飛んでる…)

ぼんやりと開いたに目に、魚が映る。

(あ、違う。私、流されてるんだ)

矢を避けようとした弾みで水路に転落した事を思い出すはたて。

(だんだん苦しくなってきた)

水面はわずか上にあり、手を伸ばして何かに捕まれば浮上できそうだった。

(いっか、もう)

しかし手を伸ばす気力が湧いてこない。

―― いいのか? 死ぬぞ?

頭の中で声がする。

(放っておいて、もう疲れた)
―― 天魔様の仇を討ちたくないのか?
(天魔様の仇?)
―― 洩矢諏訪子に落とし前つけさせてから死んでも、遅くないんじゃないか?
(そうだね)

水面に映る自分が手を差し出してくる。

―― じゃあ諏訪子をぶっ殺しに行くぞ?
(貴女は誰?)
―― 知りたいならこの手を掴め。
(わかった)

はたては頷き、その手を掴む。

「ぶはっ」

流木を掴み水面に顔を出したはたては、体勢を立て直して浮上する。

「ちょっと飲んだ…」

水路はすでに終わっており、そこは浅く幅の広い河原だった。
砂利が敷き詰められた岸に、おぼつかない足取りで上がる。

「姫海棠はたてだな?」

突然、その足に鎖が巻き付いた。

「一緒に来てもらうぞ」

二人の男と一人の女がはたての前に姿を現した。
この一団こそが、先ほど、はたてを矢で狙った連中だった。
足の鎖は、男の手から伸びており、捕縛を目的としたものなのか、鎖の強度を増す効果がある護符がいくつも結ばれていた。

「素直に従えば危害は加え……何をしておる貴様?」
(お、水没してなかった。流石はメイドインKAPPA)

彼らの事など全く意に介さず、カメラの操作を始めた。

「聞いておるのか娘?」
(この鎖邪魔だな、流れてる時に絡まったのかな?)

レンズを足元に向ける。

(ピントを調整して)

画面の映像が一瞬ボヤけた後、鎖だけが鮮明に映る。
シャッター音の後、足に絡みついた鎖の部分だけが消滅した。

「なに?」

鎖の持ち主は眉を吊り上げた。
この術を破る方法はいくらでもあるが、今のような方法で外されたのは初めてだった。

「貴様! 何をした!!」

ただの小娘から、得体の知れない恐怖を感じてしまった事を否定するためにも、怒鳴った。

「え? あなた達、誰?」

この時、ようやくはたては三人組の存在に気づいた。
片方が赤く染まった、何を見て、何を考えているのかわからない虚ろな目を向けられた三人は、本能的に握りこぶしを作った。

「コイツの母は優れた術者だった。何をしてくるかわからん。用心せよ」

年長者の天狗がそう呟くと、他の二人は表情を引き締める。
はたては彼に見覚えがあった。

「お爺ちゃん、この前の?」

かつて大天狗が襲撃される場に居合わせた際、大天狗を矢で射た老天狗だった。

「またこうして会いまみえるとはな」
「貴方のせいで、椛の戸籍表、大天狗様の手に渡っちゃったんですよ?」
「なんの話だ?」
「もう良いです。私、急いでるんで」

三人に背を向けて、平然と歩き出す。

「どこへ行く?」

老人の部下の男が手のひらをはたてに向ける。
手のひらの彫られた刺青から鎖が出現し、はたての腕に巻き付く。

「なんなんですか一体? 暇じゃないんですよこっちは?」
「酸欠で頭がいかれたか? 自分の立場が良くわかっていないようだな?」
「我らと共に守矢神社に来い。悪いようにはせん」

守矢神社という言葉に、はたての目つきが変わる。

「お爺ちゃんひょっとして、守矢の手先?」
「手先というのはやや語弊ではあるが、否定すまい」
「そっか」

その言葉の後、はたての頭の中でスイッチが入る音がした。
静かだった心臓の鼓動が早まり、目の裏側の血管がドクドクと脈打つ。
先ほどの念写の後遺症だった頭痛は消え、脳細胞一つ一つから爪先に至るまで、血と酸素が十分に行き渡る感覚に包まれる。
瞳孔が開き切り、暗闇で朧げだった視界は、まるで昼間のように鮮明だった。

(なんだろう、脳味噌が二つになったみたい)

この時、はたては自分の視点とは別に、自分たちがいる空間を真上から見えている感覚に陥った。

―― よう、また会ったな。

頭上から声が降って来た。

(あ、さっきの)
―― 気分はどうだ?
(すごく良い。頭の中が、まるで、雲一つ無い秋空みたいに、どこまでも広くてスッキリしてる)
―― そりゃ良かった。で、これからどうする?
(この人たちやっつけようと思う、守矢の手下みたいだから)

はたては、腕の鎖を掴み返すと、腕を思い切り引いた。

「ぬぅ!?」

見た目からは想像も出来ない膂力に引かれ、姿勢を崩す。
つんのめった先にあったのは、はたての膝だった。十数メートルあった距離を、はたては瞬く間にゼロにしていた。

「よくもっ!」

今まで男二人の背後に控えていた鴉天狗の女性が動く。

(私と同じくらいの歳かな?)
―― 昔、通ってた寺子屋に居なかったか? いつも前の席の右側に座ってた。目尻に黒子があったろう?
(そう言えば居たね)
―― あんまり頭が良くなかったから、武道の道を選んだんだろうな。

少女は細く長い柄の槍を手に迫っていた。

(なんていう種類の槍だっけ?)
―― 管槍だ、椛の詰所にも置いてあったろ?
(連撃を目的とした槍だよね?)
―― これで相手の素性と獲物は把握したな? 必要以上にビビるなよ?
(うん)
―― じゃあ、どう対処する?
(柄を掴んで…)
―― それじゃあ指が飛ぶ。消しちまえ。
(どうやって消すの?)
―― さっき本能的にやってたろ?
(あ、そっか)

はたてはカメラを取り出し、シャッターボタンを押した。

「っ!?」

太ももを刺しぬくつもりで放たれた突き。しかし繰り出したはずの槍の刃は、綺麗さっぱり無くなった。
カメラのディスプレイには、たった今消失した槍の先端が写っている。

―― おい、なんで先っぽしか消さなかった?
(手まで一緒に消えちゃったら可愛そうだと思って)
―― おかげで見ろ。棒術みたいにぶん回してきたぞ。
(平気)

振り下ろされた棒の先をはたては事も無げに掴む。

(ここで『絶対に離さないぞ』って顔で相手を睨んで)
―― するとどうなる?
(この子は思いっきり棒を引っ張ろうとするはず)

その読み通り、彼女は棒を目いっぱい自分の方へ引き込んだ。

―― で、手を離すワケか。

はたてが棒をあっさり離したことで、綱引きになる事を想定していた少女は踏鞴(タタラ)を踏む。

(よし隙だらけ)

はたては手をピストルの形にする。

(女の子同士なんだから、やっぱり弾幕ごっこだよね)

真球に限りなく近い丸みを持った天狗礫が、手首と肩に撃ち込まれた。
至近距離で食らった衝撃と痛みで、彼女は意識を飛ばした。

(あとはあのお爺ちゃんだね)
―― その前に動け。右に三十五度。

言われた通りに身体を傾ける。耳元を矢が通過した。

(ありがとう)

普段の自分なら見落としていたり、忘れている情報を助言してくれる声に礼を言う。

「認めんぞ! いくら血筋とはいえ、お前のような餓鬼が、儂らをこうも容易く!」

すでに新しい矢を番え終えていた。

―― 元気なジジイだな。
(血圧心配になるね)
―― もう隠居させてやろう。

矢が放たれることはなかった。
弦から手を離すより先に、はたてが弓から矢を外し、老人の肩に突き刺した。
相手を麻痺させる毒でも塗ってあったのか、彼は体を丸めると口から泡を吐き、痙攣し始めた。

(早く諏訪子様を探さないと)
―― いや、その必要はなさそうだ。

「酷いじゃないかお姫ちゃん。年寄りは労われって、天魔様に教わらなかったかい?」

背後から、最も会いたくて、会いたくない者の声が聞こえた。









「文さん!!」

椛は、はたてを探す文の前に着地した。

「良いところに。貴女の眼ではたてを探せませんか?」
「先ほど試したのですが駄目でした」

その時、はたては川の中に居たため、見つける事が出来なかった。

「文さんは今の状況をどれだけ把握していますか?」
「すみません、これっぽちも。一体何が起こっているんですか?」
「ついて来てください。はたてさんも気がかりですが、ダムで起きている事の方が火急です。状況は道中で話ます」
「わかりました。案内してください」

椛と文はダムに向かい、飛んだ。







ダムの前。

「うおおおお! でっけ! なんじゃコイツ!?」

とぐろを巻けば家屋くらいはありそうな巨大な白い蛇が、ダムの前に居座っていた。
その丸太のような尾の先をしならせて、大天狗目がけて振り下ろしきた。

「させん」

白狼天狗の男が、両手を交差して受け止める。
蛇は尾を引っ込めると顔を前に突き出して、舌をチロチロと出した。

「キモっ。私って蛇苦手なのよ。頼める?」
「お任せを」

彼は愛刀を手に大上段で構える。

「ちょうど蛇革のバッグが欲しかったのよ」
「良い素材が手に入ったら、知り合いの職人に作らせましょう」
「楽しみにしてるわ」

彼に蛇を任せ、軽く跳躍、ダムの壁に乗った。








ダムの水面。その中央に神奈子は居た。歩くたび、足跡の代わりに小さな波紋が生まれては消える。

「上手く行き過ぎて怖いくらいね」

神奈子の足元には、魚の死体が浮き上がっていた。
水温が急激に上がった事が原因である。

「うわっ、熱っ」
「 ? 」

神奈子が振り向くと、大天狗が水上で屈み、水面に手を入れていた。
神奈子は神徳、大天狗は妖力で、それぞれ水面に立っていた。

「ここに温泉旅館でも建てるの?」
「建つのはもっと良い施設さ」
「実験、成功したんだ?」
「祝福しなさい。今日が幻想郷にとって歴史的な日になったわ」

常温核融合の実験により、水面から薄い湯気が立ち込める中、どちらからともなく歩み寄る。

「初めてに顔を合わせた時、まさかこうなるとは思いもしなかったわ」
「そう? 私は遅かれ早かれこうなると思っていたけれど?」

すぐ目の前までやって来て止まり、一瞬の間の後。

「ふっ!!」
「オッラぁ!!」

互いの拳が互いの頬にめり込む。

「はっ!」
「だっりゃ!!」

同時に放たれる二発目の拳。
軍配が上がったのは神奈子だった。

「固ってぇ」

力負けした大天狗はダムの壁に叩きつけられる。
水中に沈もうとする大天狗の髪を神奈子は掴み、引き上げて、壁にもう一度叩きつける。

「あーやっぱ神様って強いわね」

口の端から血を滴らせながら呟く。

「その通り、天狗風情が神に勝てるわけがない」
「天狗風情とは言ってくれるじゃない」
「私は天狗ほど悲しい妖怪はいないと思っているわ」

その眼は憐れみに富んでいた。

「力は鬼には到底及ばず、知恵は人間よりも遥かに浅く、常に何かに束縛されて生きる事を強いられる。自由気ままに生きている低級妖怪の方がよっぽど幸せに見えるわ」

全てにおいて中途半端だと神奈子は常々感じていた。

「天狗は私に導かれて初めて五体が満たされる」

神奈子が手を空にかざすと、数本の御柱が浮かび、その先は全て大天狗に向いている。

「仲間を思うなら、お前さんはここで消えるべきよ」
「そうかもね。ただし、アンタも道連れよ」

大天狗は懐から筒を取り出す。

「なんの真似?」
「言わなかった? 『道連れ』にするって」

筒の隙間から漏れるドス黒い瘴気に、勝ち誇っていた神奈子の表情が崩れる。
一度呑み込まれた事がある神奈子は、大天狗が持っている物の正体に気づいた。

「その方法、犬走椛の入れ知恵かしら?」
「ん? なんでモミちゃんが出てくるの?」
「あの時の再現なら無駄よ。ダムの怨霊はあの時に全て浄化させた」
「馬鹿ねー、この山の闇がその程度なわけないじゃん。どれだけの命を、ゴミのように捨てて来たと思ってるの?」

手に力を加えると筒は簡単に砕け、中の戸籍表が外気に晒された。

「この山の山道のあっちこっちに、石が積まれてるの知ってる?」

水面が二人を中心に徐々に黒く染まる。

「あれね、全部、白狼天狗の墓石替わりなの。私や、当時の上層部に捨石にされて死んだ無縁仏のね」

あれだけ熱かった水が瞬く間に冷水へと変わっていく。

「私を呪い殺したい魂が、どれだけこの山に溢れ、漂ってるか教えてあげる」
「愚かな事をっ」

本能的に危機を感じ、その場から離れようとするが、大天狗の手がそれを許さない。

「離しなさい!!」
「アンタも付き合いなさいよ。そっちも、ここじゃない別の土地で、私と同じくらいエゲつない事やってきたんでしょ? それを清算するいい機会だと思いなさい」

コールタールのような水面からいくつもの黒い腕が生えて、二人の足を掴む。黒い腕の中には無数の髑髏(シャレコウベ)が漂い、何かを叫んでいる。

「ふざけるな! そんなに断罪されたければ勝手に首でも吊れ!」
「それじゃあ意味がないわ。ただ死ぬだけじゃ、私が死なせてしまった者たちは喜ばないもの」
「弱肉強食こそがこの世の理(ことわり)。勝つ者が正義! 利用されて死ぬ者こそが悪よ!」
「やっぱり神様の言う事は違うわね。まさにその通り。でもね、命ってのは一つ一つに物語があるの。それを自分の都合だけで摘み取るのは、なんか違うと思うのよ」

二人はすでに腰まで浸かっている。

「ぐっ」
「全然力入んないわコレ」

胸まで浸かる頃には、呼吸すらままならなくなる。
そしてとうとう、無数の黒い腕達は二人の頭を掴むと、水中に押し込んだ。















「……くそっ、大女めっ、余計なあがきを」

這いずるように水中から脱出する神奈子。
怨嗟の渦を振りほどき、自力で浮上した。大天狗は未だに水底である。

(脱出に神徳をかなり消費した、早く、神社に戻らねば)

水面に手をかざすと、水中から御柱が一本浮かび上がり、八坂神奈子の前で垂直に立った。
他とは異る光沢を放つこの御柱こそが、発電の核となる存在だった。

(良かった、どこも破損してはいない)

パラジウム合金と同じ性質を持たせた御柱はこの一本だけ。
今まで溜め込んだ神徳を使い、ようやく作り上げた。
自分の背とさほど変わらぬその棒を、まるで我が子のように抱きかかえる。

(発電所が出来れば、今までとは比べものにならない信仰を得られる。そうなればこんな棒切れいくらでも量産してやる)

故にこの一本だけは絶対に失うわけにはいかなかった。

(しかし、大天狗が消えたのは僥倖だ。これで天狗社会はますます混乱して…)

ザンという音と共に、水面が大きく揺れた。

「どーもーこんばんは。新聞取ってます?」
「きっ…」

文が、彼女の抱える御柱の上に乗っていた。

「ひょっとしたら、今貴女を討ち取れば、私が天狗社会のボスになれたりします?」
「貴様ぁぁぁ!!」

空に展開された御柱が文目がけて射出される。

「おっと」

柱は壁に次々突き刺さり、大きな穴を開けた。

「お前と遊んでいる暇はない」

その穴から神奈子は飛び去る。

「まだそれだけの余力が…」

歯噛みし、文は神奈子を追う。
両者は、遊びでは済まない威力の、風と礫と柱の応酬を繰り広げながらダムから離れていった。









文と神奈子が去った後。

「ああ、くそ。おっも…」

大天狗を抱えた椛が水面から顔を出す。
そのままダムの水門まで泳ぎ、壁に設置された階段の手すりを握る。

「離してください」

水面から伸びる黒い腕が、椛の足を掴む。

「お断りします」

頭に直接響く『置いていけ』という声、それを一蹴し、手すりを跨ぎ、階段に乗る。
登ろうとする椛の体に、さらに腕が絡みつく。

「無駄です。私には、貴方達の念も声も効きません。私も一歩間違えばそちら側の者なんですから」

椛はこの腕に触れても、なんともなかった。

「『ならば何故、助ける』ですか? 今、この方に死なれたら私も、私の部下たちも困る。だから生きて貰わないと」

椛が一段上がる毎に、腕は剥がれ落ちていく。

「ごめんなさい。私には、貴方達が安らかに眠るのを祈ることしかできない」
「十分よそれで」

鍵山雛が十段ほど上の段に佇んでいた。

「秋はみんなノスタルジックな気持ちになるせいか、この時期が私は一番忙しいの」
「貴女ですか? 大天狗様にこの策を授けたのは?」
「その子が望んだ事だから」
「立派な自殺ほう助ですよ?」
「不味かったと思ってるわ。だからこうしてアフターケアに来たんじゃない」

降りて来た雛とすれ違う。

「大丈夫。アナタの犠牲があったから、今のこの山があり、大勢の天狗が豊かに暮らせている社会がある。それを、ちゃんとわかってるわ」

雛のその言葉は誰に向かって言ったものなのかはわからない。
階段を登り終えて振り返ると、透明な水面に明るく輝く月が浮かんでいた。
雛の姿も、怨みの塊もどこにもなかった。







大天狗を背負った椛はダムの壁の上を歩く。

「あのまま放っておいてくれて良かったのに」

大天狗がポツリと漏らす。碌に動けないため、全体重を椛に委ねている。

「みんな、死にたくないと願いながら死んでいったんです。死にたいから死のうなんて、ムシが良い話だと思わないんですか?」
「でもさ…」
「死ぬんなら、ちゃんと後釜を用意して、全部引き継がせて、ご自分がいなくても問題なく山が回るようにしてからお願いします」
「……わかった」

力なく頷いた。

「それにしても、優しい者たちばかりで良かったですね。『せいぜい後悔しながら苦しんで惨めな最期を迎えろ』だそうです」
「他に何か言ってた?」
「『その辺の男で妥協して、さっさと結婚しろ』と」
「うっそだー」

見下ろすと、息絶えた巨大なヘビの上に腰かける白狼天狗の男の姿があった。
彼の元に椛は降りる。

「蛇の頭蓋骨砕くって、どんだけ馬鹿力なんですか? 私には到底真似できませんね」
「そうだろう、そうだろう」

嬉しそうに何度も頷いた。

「大天狗様の容体は?」
「古い知り合いにちょっとボロクソに言われただけです。精神が衰弱していますが、放っておけば勝手に元気になりますよ」
「良かった」

椛から大天狗を受け取り、彼が背負う。

「一応、診療所へ連れて行ってあげてください」
「お前は?」
「まだやる事が残ってますので」
「ならば持っていけ、大天狗様と一緒にこれは担げん」

彼が特注で拵えた野太刀を受け取る。

「死ぬなよ」
「それはお約束できません」

椛は剣を肩に担ぐと、文と神奈子の後を追いかけた。









「あーあー、禊損なったわ」

男の背中で大天狗がごちる。

「もうアンタで良いわ。私に引導渡してくんない? アンタも組合の奴なんだし。恨むにゃ十分でしょ?」
「俺がなぜ組合に入ったかご存じですか?」
「出世と正義感からでしょ?」
「俺には妹がおりました」
「あらそうなの?」
「十五歳で、とある高官に無礼討ちされて死にましたが」
「…」

初耳だった。

「愛人の誘いを断ったせいか、打ち水の飛沫がたまたま足に掛かったせいか、理由はわかりません。とにかく、とても下らない理由で命を落としました。
 そんな時、組合の存在を知りました。汚職や不正を働く者を秘密裏に処理する集団。そこに加われば、いつか妹の敵を討てる日が巡ってくると思い、志願しました」

簡単に仲間を斬り殺すような奴だ、いつか大天狗の抹殺対象になると思った。

「所属して三年目の冬でした。直接ではないにせよ。間接的にその者の討伐に関わる事が出来ました」
「良かったわね」
「ほんの極少数かもしれませんが、貴女に救われ、感謝している者がいる事も、どうか知っておいてください」

その言葉に、大天狗は少しだけ救われた気がした。

「しかし、アンタあれね。私に気に入られてたモミちゃんに嫉妬したりと、ひょっとして、私に気があるの?」
「それはないです」

きっぱり言った。

「マジ? これっぽちも?」
「天狗として尊敬はしていますが」
「ちょっとくらい女として意識したりしない?」
「ないですね」
「…」
「…」
「ていっ」
「オゴォ!!?」

















河原で、はたては諏訪子と対峙していた。

「こうして向かい合うと、ダム建設で揉めてた時を思い出すね。いや、これはその時の続きみたいなモンか」

諏訪子がゆったりとした足取りで近づいてくる。

「今、お姫ちゃんが何を考えているか当ててやろうか?」

はたてに向かう途中、気絶した鴉天狗の少女がいたが、諏訪子は気にせずその背中を踏んだ。

「『突然、明かされた出生の秘密。そして師であり血縁者である天魔との死別。謎の追っ手。嗚呼、私はなんて悲劇のヒロインなのかしら』ってトコかな?」
「…」

この時、はたてには諏訪子の言葉が届ておらず。

「今の自分は怒りと混乱で覚醒した化物とでも思ってるのかい? 思い上がっちゃいけない」

ただその視線が、諏訪子の右腕に釘づけになっていた。

―― なぁ、あいつの腕。
(うん、気づいてる)
―― 天魔様の置き土産だな。有難く使わせてもらおう。
(そうだね。でなきゃ、このヒトに勝てない)

はたては一直線に飛ぶ。

「本当の化物がなんなのか、教えてあげるよ」

はたてを迎撃する術を発動すべく、両手を合わせる。

「 ? 」

重なる手の平、しかし、重なったのはほんの一瞬で、すぐに離れた。右腕に力が突然入らなくなった。

「まさか天魔の…!?」

天魔の残した痣のせいだと気付いた時はもう手遅れで、はたてはすぐ目の前にいた。

「しまっ…!?」

はたての貫手が諏訪子の左目を抉る。
指を抜くことなく、そのまま人差し指と中指を眼孔に引っ掻けて地面に倒し、指を抜いてから、もう一方の目玉も潰す。

―― 安心するなよ! すぐに再生するぞ!
(わかってる!)

抉れた目にもう一度手刀を振り下ろすが、諏訪子は身体を捻じって転がり、はたてを振りほどく。

―― 離れるな! すぐに逆転されるぞ!

盲目と負傷による影響か、立ち上がった諏訪子の足はふらついており、簡単に追いつくことができた。
喉を掴むと、すぐ近くの岩で出来た崖の壁に、背中から叩きつける。
諏訪子は肺に溜めていた空気を全て吐き出す。

(このまま一気に…)
―― 待て! こいつの身体の感触がおかしい! 何かしてるぞ!! 手を離せ!!

その警鐘の後、諏訪子の身体が徐々に背後の崖の中に沈んでいく。まるで水に潜るかのように、何の抵抗もなくその身体は壁の中に消えた。

(逃がさない)

壁にカメラを向け、シャッターを押す。
電子音の後、一辺が二メートルの立方体の空洞が出来る。その空間の真ん中には諏訪子の姿があった。
両目から血を流す彼女はそこで体を休めるつもりだったのだろう。
荒い呼吸を繰り返しながら、カエルのように四肢を地面につけていた。

―― また潜られたら面倒だ。

逃げおおせたと思っている諏訪子は、はたてに襟を握られた瞬間、ビクリと震えた。
怯えているのだとわかった。

―― おい馬鹿! 今『可愛そう』って思っただろ! こいつが天魔様に何した!? 椛に何した!? 私に何した!?
(そうだった)

湧き上がりそうになる情を払い捨て、諏訪子の身体を空中に放って殴る、そして地面に落ちる前に蹴り上げて浮かせる。それを繰り返す。
宙を舞った諏訪子を地面に着けないよう気を付けながら甚振るその様子は、まるで蹴鞠のようであった。

(何やられてるのか全然わかんねえ)

様々な角度から打ちのめされ、薄れて行く意識の中でそんな事を考える。
たった十数秒の時間が、何時間にも永く感じられた。
身体の右側全体に強い衝撃を感じた事で、ようやく地面に落ちたのだと理解する。

「…」

蹲り、虫の息である諏訪子に近づこうとした時。

―― 今なんか音しなかったか?
(っ!?)

はたては咄嗟に身を引く、目の前を弾幕が通過した。弾幕は青く、通った場所に青い軌跡を残した。

(綺麗)

見惚れていると、その弾幕を放った者は、はたてと諏訪子の間に自分の身を挟んだ。

「はたてさん……ですよね?」

割り込んできたのは守矢神社の風祝、東風谷早苗。
はたての友達である。


























椛はようやく文に追いつく。

「八坂神奈子は?」
「すみません。見失ってしまいました」
「そうですか」
「大天狗様は?」
「無事です。天魔様も一命を取留めたそうです」

大天狗から聞いた情報を文に伝えながら、あたりを見回す。

「あっ、いました。無様に這いながら、分社を探しています」

千里先を見通す眼が、その姿を捉える。

「良かった、では早速」
「いえ。文さんには、他に向かって欲しい場所ができました」
「それは一体?」

神奈子を追うことよりも優先すべき事などあるのかと小首を傾げる。

「ここから西に下った沢で、はたてさんが、洩矢諏訪子と早苗さんと居ます。このままでははたてさん、あの二人を手に掛けてしまいます」

神奈子を探す際に見えた。

「なんですって!?」
「彼女を止めてあげてください、手遅れになる前に説得を」
「説得なら椛さんが行くべきでは? はたては椛さんを尊敬し、同時に憧れています。私よりも椛さんの言葉の方が届く気が」
「私は彼女の『憧れ』にはなれても、『手本』にはなれません。彼女に必要なのは頼れる先輩です」
「…」

先輩という言葉に文は言葉を詰まらせる。

「なってあげて下さい。かつて私が慕ったあの方のように。はたてさんにとっての良き先輩に」
「なれますかね?」
「信じていますよ」

ここでふとある事に気づく文。

「椛さん、ひょっとしてはたての血縁の事、ご存じなのですか?」

はたての異常な成長の早さに、特に驚く素振りを見せない椛。
何か疑問に思っても、おかしくないはずである。

「彼女の父である姫海棠氏には、生前、お世話になりました。その奥方はとても高貴な方だったと伺っています」
「じゃあ最初から?」

優秀な母親に、天魔から直々の脱引き篭り依頼。なんとなく察しがついていた。

「彼女はお父上に良く似てらっしゃる。顔立ちだけでなく、白狼天狗に優しい所も。将来、良き天狗となるでしょう」
「私もそう思います」
「しっかりと、支えてあげてくださいね」

時間が迫っていることもあり、椛は素早く身を翻し、神奈子がいるであろう方向へ飛んだ。

「何ですかその言い方は? まるで私に全部託すみたいじゃないですか?」

椛の言葉に不吉なものを感じつつ、教わった場所へ急いだ。















諏訪子が自分の部屋から退室した後、異変の時に似た空気が山を覆ってる事に気付いた早苗。
神社から神奈子まで消えている事に気付き、妙な胸騒ぎがして、妖怪退治用の道具を一式持って二柱を探しに出かけた。
出発してすぐ、彼女の能力の恩恵なのか、諏訪子を見つけられた。
ただし、それはあまりにも、悲惨な姿だった。

「それ以上、諏訪子様に近づかないでください!」
「邪魔だからどっか行って」

はたてと早苗。行事や取材等を通し、お互いを友人と認め合っている二人だったが、この時は勝手が違った。
はたては手を前に伸ばすと、見えない壁のようなものに当たり、弾かれた。

「対妖怪用の結界です。簡単には破れません」

構わず拳を撃ち込む。妖怪退治用に特化しているせいか、殴った以上の反動がはたての腕に返って来る。

―― 殴った時に僅かだが揺れてるな。空間を遮断するタイプじゃなくて、頑丈な壁のタイプだ。頑張れば壊せそうだ。
(やってみる)

怯むことなくさらに拳を打ち込む。手の皮がめくれ、腕や肩から血が噴き出す。それでももう一度振りかぶる。
三度目の殴打で、はたての右腕は使い物にならなくなった。

―― 次は左手だ。気張ってくぞ。
(うん)

今度は左手を握りしめる。左手は四発目まで持ちこたえた。

「もう止めてください! 諏訪子様との間に何があったんですかっ!?」

狂気としか思えない行動を止めさせようと早苗は声を張り上げる。

―― そういえば、声は届くんだな。

しかし皮肉にもその言葉は、はたてに攻めの糸口を与える結果になった。

―― じゃあアレが出来るな。
(やった事ないよ?)
―― やり方なら大天狗様から教わってるだろ? ダメモトでやってみな?

はたては大きく息を吸う。
大天狗が目の前でやった時の事を思い出し、その動きをトレースする。

「   アァッ゛   !!! 」

かつて大天狗が、襲って来た賊を一掃するために使った、自らの声を音響兵器に変える妖術。
見よう見まねの付け焼刃のため、相手を殺傷する威力には遠く及ばないが、威圧・委縮させるには十分だった。

「ヒッ!?」

雷鳴のような音に、早苗は目を固く閉じて縮こまる。
意識が数秒間空白になったことで、維持していた結界が解けた。

「あっ、そんな…」

自分たちを守っていたものが無くなり、早苗は全身の血が徐々に冷たくなっていくのを感じた。

「お願いだからどっか行って、何もしないから」
―― 温いこと言ってんな! コイツも守矢の手先だろうが! 今は無関係で清楚気取ってても、いずれ神奈子と諏訪子の思想に染まる。
「早苗さんはそういう人じゃないと思う」
―― さっさと殺せよ! ここで見逃したら確実に復讐しに来るぞ! 皆殺しでしか怨嗟を断ち切れない事くらい分かれ!
「でも…」
―― ボヤボヤするな! いつコイツ等の援軍が来るかわかんねぞ!!

「はたてさん?」

独り言を繰り返すはたてを前に、早苗は少しだけ考える力を取り戻した。

「さ、…なえ」
「諏訪子様!?」

背後で息絶え絶えだった諏訪子が声を絞り出した。両目はまだ塞がったままである。

「良かった、意識が」
「さ、苗。にげ、て」
「嫌です!」
「わたし、は、この子に、ひどい事をした、こうなるのは、とうぜんの、結果…なんだ」
「そうだとしても私はっ!」

諏訪子を抱え、飛ぼうとする。
それが自殺行為だとわかっていたが、そうせずにはいられなかった。

「どこ行くの?」

はたての片足が無防備な背中に向けられたその時、突風が三人の間を吹き抜けた。

「…今の風は?」

恐る恐る早苗は目を開けると、足を下ろして横を向くはたてが最初に見えた。

「探しましたよはたて」

はたての視線の先には、文が立っていた。

「急にいなくなるから心配しましたよ」
「うん。ごめんね………ってアレ? 文?」

文はそのまま歩いて来ると、早苗達の前に立った。

「今日はこの辺で勘弁してあげませんか?」
「どいて文」
「どきません」

はたてに睨まれ、全身に刺すような痛みを感じつつも、文は飄々とした態度を維持する。

「お手柄ですはたて。ここからは私が預かります。貴女はすぐに治療を受けなさい。早くしないと腕が壊死しますよ」
「お願い、最後までやらせて」
「駄目です。後は私に任せなさい」

互いの間の空気が、不穏なものに変わっていくのがわかる。

「もう彼女達は戦えません。終わったんです」
「殺しに来ておいて、自分たちが戦えなくなったから見逃せって? そんな理屈通ると思ってるの? 椛なら絶対に見逃さない」
「確かに椛さんは容赦しない方ですが。無用な殺生は好みません。知っているでしょう?」
―― どけよ。コイツらに落とし前つけさせる。
「そんな汚い言葉を使ってはいけません。天魔様に叱られますよ?」
―― あの人は多分もういない。ソイツが殺した。
「生きてます。一命を取留めたと大天狗様が仰ってました」
―― 嘘。
「嘘だと思うなら、診療所へ行ってみなさい」
(生きててくれたんだ)

その場に座り込むはたて。

「本当によく頑張りましたねはたて。だからそんな目はやめなさい」

脱力はしているものの、守矢に対する殺意は消えていない事を文は感じ取っていた。

「どうして良いか、わかんないよ。急にお前は天魔の血筋の者だって言われて、母さんの事で謝られたと思ったら、天魔様が重傷を負ってて、その犯人が目の前にいて」
「まだ、気持ちの整理がついていないのですね」

しゃがみ、はたてを抱き留める。ここからが自分の役目だと文は自覚した。

「大丈夫、貴女は強い」
「止めて、私に期待しないで。知ってるでしょう。私は元引き篭りで、コミュ障で、世間知らずで、馬鹿で、救いようのない甘ったれで…」
「椛さんのような強い天狗になりたいのでしょう。ならば、しっかりと受け止めなさい。幸い、時間はたっぷりあります。私も手伝いますから」
「……文」

―― おい! 何流されそうになってんだ! まだ戦いは続いてんだぞ!?
(ううん。もうこれでお終い。あとは文に任せる)
―― ふざけんな! こんな事で守矢が懲りるか! また厄介ごとを引き起こすに決まってる!
(その時は止めようよ。また皆で)
―― 今殺せ!
(今日はここまでにしよう? 私は、これ以上、自分を嫌いになりたくない)

その時、はたての身体を鉛のような疲労感が襲った。

―― チッ、時間切れか。いいさ、今回は甘ったれてやる。
(貴女は結局誰なの?)
―― 私か? 姫海棠はたての本能みたいなもんだよ。
(いつか貴女が私にとって代わるの?)

かつて出会った未来の自分と、自分の本能だと明かしたその声の口調は、とても酷似していた。

―― お前が自分を見失えば、きっととって代わっちまうだろうさ。
(また会える?)
―― スイッチが入ればな。だから呑まれたくなきゃ、あんまり使うな。
(力を貸してくれてありがとう)
―― やめろよ、自分自身に礼だなんて。

はたての意識が徐々に遠ざかる。

「来てくれたのが、文で良かった」
「なぜです?」
「こんな姿、椛に見せたくなかったから」

それだけ伝えると意識がブツリと切れた。
はたてを優しく横たえてから、早苗に抱えられる諏訪子を見る。

「さて、諏訪子様。貴女が選べる道は二つ」

再生したばかりの諏訪子の目でもちゃんと見えるよう、近づいて指を二本立てる。

「一つ目、今すぐこの山を去る。今は見逃してあげますが、次にこの山に足を踏み入れた時は、命の保証は致しかねます」
「もう一つはなんだ?」
「二つ目、大人しく神社に戻り、天魔様の裁きを待つ。天魔様の采配が下されるまで、身の安全は約束します」
「神社で待つよ。ちょうど、天魔の顔が見たいと思っていたんだ」
「かしこまりました。天魔様が決断を下すまで、早苗さんは私どもの方で護衛します」

他の天狗から守るというよりも、諏訪子が逃亡しないようにするための人質としての意味合いの方が大きかった。

「丁重に扱えよ」
「お一人で帰れますね? こっちははたての面倒で手いっぱいですから」
「それくらい出来るよ。早く医者に連れてってやりな」




















文を撒くことに成功した神奈子は、御柱を引き摺り、這いつくばりながら山道を進む。
普段の悠然とした彼女からは想像も出来ない姿だった。

「もう少し、もう少しだ」

神奈子の進む先には分社があった。分社まであと十歩も満たない。

「試験は成功した。これで発電所建設の目途がついた」

分社に触れれば、守矢神社の本殿まで戻る事が出来る。それで守矢の勝利だと信じて疑わなかった。

「まさかこうやって神様を見下せる日が来るとは。長生きはしてみるものですね」

追いついた椛が、神奈子の前に立ちふさがった。

「お前さんの望みを言いなさい、私が叶え…」

振り返り椛は分社を破壊した。

「良い剣です。私も特注で一つ作ってみたくなりました」

分社を壊すのに使った、借り物の剣を見てそう呟く。

「洩矢諏訪子の方はカタが付いたみたいです。諏訪子様は降伏撤退。早苗さんの身はこちらで預かっています」

たった今、見えた状況を告げた。

「そちらも降参してはいかがです?」
「断る。私がいれば、守矢は何度だって立て直せる」
「最大の譲歩だったんですけどね」

身の丈はある剣を引きずりながら神奈子に近づく。

「正直、断ってくれて嬉しいです。貴女にはこれまで散々な目に会わされてきましたから」
「そうだったかしら? 良く覚えていないわ」

振りかぶる椛。しかし、剣は神奈子に通らなかった。

「結界ですか?」

剣は神奈子に触れているが、そこから先はビクともしない。
神奈子は自身の身体の表面に結界を張って守っていた。

「誰が早苗に結界の張り方を教えたと思ってるの? 妖怪耐性付ではないけれど、頑丈さは折り紙つきよ」
「そうですか、では先にこちらを壊すとしましょう」

神奈子の傍らの御柱に目を向ける。蹴ると、御柱は簡単に神奈子の腕から離れた。

「もう自分を守るだけでの力しか、残ってないみたいですね?」

厄の塊で消耗しきった所に、文の追撃。椛が指摘した通り、神奈子の神徳は身を守る事に使うのが精いっぱいだった。

「親切心で教えてあげるけど」
「なんでしょう?」
「その棒の内部には、かなりのエネルギーが凝縮されている。壊せばただではすまないわよ?」
「そうですか」

構わずに剣を振り上げる。

「正気? お前さん、確実に死ぬわよ?」
「わかってます」
「よく考えなさい。この山がお前さんに何をしてくれた? 奪ってばかりだったじゃない」

懐柔しようという神奈子の魂胆が明け透け過ぎて、失笑を禁じ得ない。

「でも壊します。これはきっとこの山に、災いを呼び込む。未来の子供たちのためにも、これはあっちゃいけない」
「そんな事はない。それは人類にとって、この世界に生きる者にとっての希望よ。クリーンで、恒久的で、奪い合う必要の無い。夢のエネルギー」
「知ったことじゃありません。実際にこれのせいで、私達はえらい目にあっているんですから」
「白狼天狗にとって山に滅私奉公するのは美徳かもしれないが、お前は真っ当な白狼天狗ではないだろう。これまで何人の同族や河童の女子供を殺した? 穢れた畜生がいまさら善人ぶるな、反吐が出る」

椛の説得が無理だと理解した神奈子は、彼女を口汚く罵った。

「確かに、生涯の殆どを恨み辛みで生きて来た私が、いまさら白狼天狗の矜持を持ち出す資格はありませんね」
「だったら…」
「だからこれは償いです。私が奪ってしまった者達に向けた」
「愚かな。お前さんは悲劇のヒロインを演じて酔っているだけに過ぎない。夜書いた手紙を翌朝見返す自分を想像しなさい。あの世で後悔しても遅いのよ?」
「貴女がそう思うなら、そう思ってくださって結構です」

剣を握る手に力が篭る。

(不思議だ。昔から、事ある毎に死に怯え、恐怖してきたというのに)

先ほど、守矢派の連中と戦う前に感じていた恐怖や躊躇いが全く湧いてこなかった。

(生まれて初めて、死んでも良いと思ってしまっている)

長い時間を生きて来たが、一度も経験したことのない感覚だった。

(元々は復讐の為だけに生き永られて来た命だ。奴が死んだ時点で、私には生きる理由なんて無かった)

復讐する対象が老衰で死んだ後、厄騒動が起きて、その後に守矢神社が故郷をダムに沈めると言いだした。ダム建設の騒ぎが終わると、今度は発電所を作ると言いだした。
あまりにも慌ただし過ぎて、その事をすっかり忘れていた。

(誰かが犠牲にならなければいけない状況が目の前にある。多くから奪い続けて無駄に生き延びてしまったこの命で済むのなら、喜んで差し出そう)

そう結論付けた心に対し、理性も本能も一切反論してこなかった。

「やめろ、待て!!」

神奈子の声は、もう椛には届かない。

「自分はどんな風に死ぬのか、どんな風に死ねるのかと。仲間が死んでいく中で、ずっと考えてきました」

いつ自分に死の順番が回ってくるのだろうと考えて今日まで過ごしてきた。

「丁度、待ちくたびれていた所です」

躊躇うことなく剣を振り下ろす。
朝日のような強い光が、剣の先から生まれた。




























薄い霧に包まれた小道に椛は立っていた。
道の両脇の芝生からは彼岸花が生えて、蝶が舞っている。

「どこだここは?」

何故自分がここに居るのか、今が何時なのか思い出せない。
なにか手掛かりになるものはないかと辺りを見回す。

「何か探し物かい?」

不意に声を掛けられた。
声がした方を見ると、芝生の上で胡坐をかく白狼天狗がいた。
肩まで伸びた白く美しい髪に、人懐っこそうな、愛嬌のある顔立ちをした少女だった。

「貴女は?」
「そういうお前はどこの誰だい?」
「私は…」

名乗ろうとして、言葉が詰まった。

「あれ? 私は、誰だ?」

自分が何者か思い出せない。

「いいさ。思い出せないって事は“向こう側”にまだ残してるってことだから」
「他に誰かいますか?」
「私だけだ。他の奴らはずっと昔に、この先に行ってしまった」

彼女の指さす先。霞がかっていて、その先に何があるのかはわからない。

「ここで何を?」
「後輩を、待っているんだ」
「後輩ですか?」
「そう可愛い後輩だ」
「ここに一人で残るほどの?」
「ああ、なかなか放っておけない奴でね」

自信満々に彼女は返した。

「貴女にそれだけ心配してもらえる者は、幸せ者ですね」

彼女が何者かは知らないが、なぜかそう思った。

「そうだな。幸せ者だな」

クックと笑ってから少女は立ち上がり、霞の中に向かい歩き出す。

「あの、どちらへ?」
「皆のところに行くよ」
「何故? 待っているのでは?」
「そのつもりだったんだ。不器用な奴だから、きっと独りぼっちな一生を送っただろうから、せめて私くらいは迎えてやらないと、って思ってたんだがな…」

振り返り、椛の顔を見て微笑む。

「余計なお世話だったみたいだ」
「どういう意味……ぁ…」

椛の脳裏に小さな電流が走り、記憶が蘇る。
彼女が何者か、ようやく思い出す。

「先輩っ!!」

目に涙を浮かべ駆け出し、よろけながら彼女に追いつく。

「私! 貴女に話したい事がたくさん!!」
「それ以上口にしたら駄目だ。戻れなくなる」
「嫌です、せっかく会えたのに、また離れるなんて…」

ずっと会いたかった者が目の前にいる。他に望むものなど何もなかった。

「大丈夫。またいつか会える。だからお前はうんと遅れて来い。その時はウンザリするくらいの思い出話を聞かせとくれ」

迷ったり悩んだ時、いつも自分を諭してくれた声が、あの時と変わらない温かさで語りかけてくる。

「私は、貴女と別れてから、色々な者を傷つけて生きてきました。そんな思い出を持つ資格なんて…」
「どんな悪人でも生きてる以上、幸せになる権利を持ってる。それを嫌ってほど見て来ただろ? だからお前も幸せになって良いんだよ」
「そんな理屈、誰も納得しません」
「そろそろ自分を許してやりな。幸も不幸も、あとはもう気持ち次第だって事、自分でも分かってるんだろ?」
「…」

雛に指摘された時から薄々気づいていた。都合の良い妄想だと決めつけて、気付かない振りをしていた。

「仮にいつか自分を許せても」
「うん」
「この山はきっと私を許さない。私は穢れを溜めこみすぎた」
「次から次へと、何百年経っても心配性は健在だな」

呆れ果てた顔をして「ホント、心底面倒臭い奴だな」と、ため息を吐かれる。

「山はお前を嫌っちゃいないよ」
「しかし実際に何度も」
「今まで生きてきたんじゃないか、お前は山に生かされる。生かされてるって事は嫌われてないって事だ」
「それは…」
「大丈夫だよ。この山は必死に生きる奴、種族の為に戦う奴を決して笑ったりしない」
「そんな事…」
「お前が他人よりもちょっと運が悪いだけだ。それを山だの因果応報だの、勝手に結び付けてるだけだ」
「そうでしょうか…」
「そこまで疑うなら証拠見せてやるよ」
「証拠?」
「ああ、だからもう仲間の所に帰りな」

自分の額を、椛の額に当てて眼を閉じる。

「お前はもう十分愛されてる。自分を愛し、他人も愛せば、お前の道も少しはマシになるかもな」

椛の視界がぼやけ始める。

「無理に前に進む事なんて無い。疲れたら立ち止まって花の匂いでも嗅いで、元気が出たらまた歩いたり走ったりすれば良い」

くっついていた額が離れる。

「さぁ戻れ、まだまだ先は長いぞ」

そこで世界は暗転した。









「ここは?」

気が付いた椛は、仰向けになり空を見上げていた。
空には月が浮かんでいる。

「そうだ、八坂神奈子の御柱を叩き折って」

ものすごい衝撃を身体に受けた所までは覚えている。

「どうして生きてる?」

四肢が飛び散ってもおかしくなかった。運良く五体が繋がっていたとしても、落下の衝撃でひき肉になっているはずである。

「一体何が…」

顔を横に向けると、紅い色が広がっていた。
椛はそれを自分の血だと思った。しかし、すぐ見間違いだとわかった。
身体の節々の痛みはあるが、四肢は健在で爪一つ欠けていなかった。

<そこまで疑うなら証拠見せてやるよ>

先ほど会った先輩の言葉が、椛の脳裏を過る。

「うっ」

紅色の正体に気付いた時、椛の喉が詰まる。

「あ、ああ…」

顔を腕で覆うが、これ以上、こみ上げてくる感情を抑える事ができない。

「ああああああああああああああああああああああ!!!!」

堰を切ったように椛は泣き出した。
布団のように敷き詰められた大量の紅葉。その上に彼女はいた。

その光景はまるで、紅葉が彼女の身体を抱き留めているかのようだった。






【 epilogue 】




騒ぎが起きてから数日後。



診療所の病室。

「モミちゃんが八坂神奈子の御柱を壊して、その衝撃で吹っ飛ばされたワケよ」

意識を取り戻し、回復に向かっている天魔に大天狗はその時の状況を説明する。

「吹っ飛んだ方向は崖になってて、その下は渓流だったんだけどね。どこに落ちたと思う?」
「落ちた先が渓流なら川底では?」
「それがね、なんと崖から生えてたヤマモミジの枝の上だったのよ。あり得なくない?」

椛が吹き飛ばされたと思われる軌道上には、枝の折れたヤマモミジが何本もあり、何回も引っ掛かり衝撃を分散させながら、受け止められたのだという。

「それはすごいのう」
「でしょ!? あの時、ほんのちょっとでも条件が違ってたら、今頃はド座衛門か崖の落書きよ。これじゃあまるで…」
「山が助けた、と思ってしまいますな」
「ねー」

その後、椛は自分の足で詰所まで戻ったという。
椛が辿り着いた時、詰所では椛を捜索する為に文と部下の隊員達が集まっていた。

「戻ってきたモミちゃんは、泣いてたそうよ。まるで縁日で親とはぐれた子供みたいに手で目をこすりながら」
「かなりの衝撃でしょうし。痛みも相当なもの。泣きもしましょう」
「違うわ」
「違うとは?」
「あの子はね、肉体の痛みじゃ絶対に泣かないの。そういう強い子なの。泣くのはね、ココを強く掻き立てられた時」

大天狗は自分の胸に手を当てた。

「ずいぶんとその白狼天狗を買っておるのですな」
「天魔ちゃんと同じ、私の大親友だからね」
「今度、茶でも誘ってみるか」
「ところで天魔ちゃん。あの件、本当に良かったの?」
「あの件とは?」
「決まってるでしょう。守矢よ、モ・リ・ヤ。手を出すなってどういう事?」

天狗から、守矢神社への報復は一切行われていなかった。

「ずっと考えておった。欠点だらけの天狗で何が最も必要なのかを」
「必要なものねぇ、力か技か、体力か知力か、挙げたらキリがないわ」

ダムで神奈子に言われた事を思い出し、嫌な気持ちになりかける。

「寛容さだと儂は思う」
「心にゆとりを持てって事?」
「組織としての行動を重んじる儂たち全員がそれを持てば、きっと天狗は良い方向へ向かえるはずじゃ」
「まぁ天魔ちゃんが決めたことなら私はそれに従うまでよ。今までも、これからも」
「恩に着る」
「それじゃあ。哨戒部隊の会合があるから失礼するわね」
「うむ、儂もなるべく早く復帰しよう」
「いい機会だからゆっくりしときなさい」

手をヒラヒラと振って大天狗は去って行った。

大天狗が退室してすぐ、病室の窓が開いた。

「よっと」

窓から入ってきたのは諏訪子だった。

「なにもそんな所から来ずともよかろう?」
「もっと嬉しそうにしなよ。こっちはお姫ちゃんにギタギタにされた身体に鞭打って来たんだからさ」

諏訪子は今、その身を現界させているのがやっとだった。

「コソコソせずとも、そなたが来たら正面から通すよう言いつけてある」
「そんな事よりも、お咎め無しってどういう事だよ?」

今回の騒ぎは大天狗がすぐに対処したおかげで公にはならず、山の外にも内にも漏れることはなかった。
守矢神社の企みは明るみになることはなく、天狗からの報復も賠償請求もしないと、文の口から伝えられた時、諏訪子は耳を疑った。

「そう言うな。大天狗殿を説得するのには苦労したのじゃぞ?」
「私は殺そうとしたんだぞ?」
「ここ数年、栗が豊作でみんなが喜んでおる」
「あ?」
「秋姉妹殿の功績であろうが、少しは守矢の力でもあるのではないか?」
「少しじゃないよ。思いっきり私らのおかげだよ」
「つまりもう、守矢神社もこの山の一部という事じゃ。急に欠けられては困る」
「本当に仲良くなれると思ってるのか?」
「昔、戦争した相手と仲良くしている奴の台詞とは思えんな」
「ぐっ」

事実のため、言い返す言葉が見つからない。

「だからもう、斬った張ったはこれで最後にしてほしい」
「精々努力するよ。ウチの舵取りも、これで今度こそ懲りたろうし」

諏訪子は窓から退室する際、一度振り向いた。

「すまなかった」
「貸しイチじゃ。これから天狗側が粗相をした時は、一回は見逃してもらうぞ?」
「その寛大さには恐れ入るよ」

帽子の鍔を下げて表情を隠してから飛び降りた。









「もう完全に塞がったようなじゃな、あとは胃と肝臓あたりか」

静かになった病室で、天魔は腹に手を当て、傷の具合を診る。

「早う全快して、アヤツに会わ…」
「あのー」
「うおぅ!?」

部屋の隅で声がして思わず身体が跳ねる。
声の発信源には体育座りするはたての姿があった。

「いつからそこに居た?」
「一番最初から」
「なんと」

女中の計らいで最初に入れて貰うも、その時はまだ天魔は眠っていて、起こそうかどうか迷っている内に、大天狗が入室、その音で目が覚めた天魔は大天狗と会話を始めた。
引篭り時代に培った存在感を消す技能が功を奏して、今まで全く気付かれなかった。

「お母さんが曾孫で、私が玄孫なんですね」
「黙っていて悪かった。母の事は恨んでくれて構わん。煮るなり焼くなり好きにせよ。要望があれば全て飲もう」
「じゃあ一つだけ約束してください」
「言ってくれ」
「母さんは私に最期、『ごめんね』って言ったんです」
「…そうか」
「だから貴女まで、そんな言葉で私にさよならを言わないでください」
「…」
「これだけです」
「わかった。必ず守ろう」

その言葉を聞くと、はたては病室の戸まで移動する。

「今度、一緒に母さんと父さんのお墓参りに行きましょう。案内しますから」
「よろしく頼む」

天魔の身体を気遣い、はたては長居せず病室を出ていった。





診療所を出たはたては、帰り道にあった定食屋に立ち寄った。

(なんか面白そうな記事ないかな)

注文した料理が運ばれてくるまで、携帯型カメラに思いつく単語を打ち込み、暇を潰す。

「新聞のネタ探しですか」
「おわっ!?」

背後から掛けられた声に驚き、本能的にカメラを閉じる。

「すみません。覗き見するつもりはなかったのですが」

声の主である椛が謝罪する。

「この辺りに来るなんて珍しいね」
「この近くの寄合所で、来期の隊長職の顔合わせ会がありますので」

始まる前に腹ごしらえしておこうと立ち寄ったらはたてを見つけた。

「そうなんだ」
「相席しても良いですか?」
「うん」

はたての対面に座り、注文する。

「もう退院して平気だったの?」
「ええ、いつも以上に死にそうな目にあった割りには、思いのほか軽傷で自分でも驚いてます。はたてさんの方は?」
「私はその、あの後すぐ河童の秘薬を塗って貰ったから」

腕の怪我を見た時、椛は肝を冷やしたが、痕も残らず全快したようなので安心した。

「秘薬ってすごい貴重なんだよね? 私がいくら天魔様の血縁者だからって、ホイホイ使われると、大怪我した人だっていっぱいいるワケだし…」
「お会いして姓が姫海棠だと聞いた時、まさかと思いましたが、本当にそうだったとは」
「私の苗字って父方のだよね? どうしてそう思ったの?」

姫海棠という姓は天狗社会ではさして有名なものではない。

「貴女のお父上が生前、ご自分の奥方が由緒ある家の方だと語っていたのを思い出しまして」
「私のお父さんだった人を知ってるの?」
「昔、大天狗様から命じられた公に出来ない任務の際、現場での手引きはいつもその方がしてくださいました」
「そういう仕事をしてる人だったんだ」
「そのような仕事をされていましたが、我々を白狼天狗だからと差別せず、任務以外でも色々と世話を焼いてくださいました」
「優しい人だったんだね」
「性格も顔立ちも、はたてさんはお父上によく似ていらっしゃる。初めてお顔を拝見した時、あの方の娘だとすぐにわかりました」
「ふえ? そうなの? 顔似てる?」

ぺたぺたと自分の顔を触る。

「貴女が生まれた時は、とても喜んでいましたよ」
「…」
「はたてさんがまだ幼い頃に、不幸な事故で亡くなったと聞いた時は残念でなりませんでした」
「…」
「はたてさん?」
「よくさ『息子は母に、娘は父に似る』って言うでしょ? お母さんはさ、私に『あの人の面影がある』って言って嬉しそうにしてたけど、実は私、似るならお母さんが良いってずっと思ってたんだ」

父親似というのは、はたてにとって劣等感の一つだった。

「でも今は、それがとても誇らしい」
「それは良かったです」

彼も浮かばれるだろうと、椛は心の中で静かに思った。

「はい、おまちどう」

そんな時、料理が運ばれてくる。
同じものを頼んでいたため、来るのは同時だった。

「はたてさんも特上定食だったんですね?」
「うん。この前の新聞大会で良い賞を取ったから、ご褒美感覚で…」
「ふふっ」

椛は店内を見回して笑った。

「どうしたの?」
「そういえばこの店だったなぁと思いまして」
「なにが?」
「引篭りのはたてさんを説得しに行く前に、ここで文さんと食事をしたんです」

あの時も特上定食だったのを思い出す。

「へー、そうだったんだ」
「あの日から今日まで、本当に色々ありましたね。大変な事ばかりでしたけど」
「でも。良い事だってたくさんあった」
「はたてさんはこれから、どうするんです?」

自分の出自を知り、跡を継ぐのかを尋ねる。

「まだわかんない。正直、いきなりそんな事を言われてもっていう所」
「そうですよね」
「椛は私が将来偉くなったら嬉しい?」
「それがはたてさんが、ご自分で選んだ道ならば、全力でお力添えさせていただきますよ。その頃まで、私が生きてればの話ですが」

冗談っぽくそう言った。

「死なせない」
「 ? 」
「絶対に死なせないよ」

力の篭った眼で椛を見詰める。

「椛には、私がどれだけ成長出来るか、見届けて欲しいから」

凛とした声で宣言した。

「それは大役ですね」

あの頃、卑屈で弱虫だった引篭りの少女は、一人前の天狗へと成長していた。

「そういえば椛、これから大天狗様と会うんだよね?」
「ええ」
「最近、何かもらった?」
「いいえ。特には」
「そっか」

戸籍表がどうなったのかを、はたては気になっていた。





















来期の隊長同士の顔合わせが終わった後、椛は大天狗の屋敷に呼ばれた。

「身体の方は平気?」
「おかげ様で」
「にしても有難うね、隊長職を継続してくれて」

椛はもう二年、今の部隊を率いる契約を結んでいた。

「あいつ等を指揮する方が気の毒になっただけです」
「で、あと何年かしたら教官してよ」
「考えておきます」
「キャーありがとー!」
「そんなに喜ぶことですか?」
「うん!」

即答だった。

「大天狗様こそ、隠居するなんて言わないでくださいよ」
「平気平気。私はやる気バリバリのキャリアウーマンだから。あと千年は頑張っちゃう」
「それはちょっと居座り過ぎじゃないですか?」

この様子なら大丈夫そうだと椛は思う。
罪の意識に苛まれ、道を外す心配は無さそうだった。

「モミちゃんこそ、もう絶対にあんな無茶しないでよ? 私にあれだけ言っておいて、自分はカッコよく散ろうだなんて許さないわよ?」
「分かってます。あんな事は二度とやりません」

先輩が漠然とだが、道を示してくれた。その道を自分なりに進もうと思った。

「死なれたらコレが渡せないと思ってヒヤヒヤしたんだから」
「 ? 」

大天狗が紙切れを一枚渡す。
受け取り、広げる椛。
初めて見る紙だったが、それが何かすぐにわかった。

「あったんですね。戸籍表。とと様とかか様の名前もちゃんと載ってる」

これが大天狗が下した判断だった。

「何か聞きたいことある?」
「では一つだけ」
「なに?」
「アイツは、どうしてこれをすぐに燃やさなかったのでしょうか? 生き残りがいるのは自分だけが知っていれば良い、普通なら燃やしてしまいます」

これがどこに保管されていたか大体の察しはついていた、残した理由が知りたかった。

「殺そうと思えばいつでも殺せるモミちゃんをあえて生かしておいた。ってコトはそういう事なんじゃない?」
「…」

椛は無言で庭に出る。
庭には、落ち葉を集めて焚き火をしている従者がいた。

「ちょっと失礼します」

紙を捻じりクシャクシャにすると、躊躇することなく火の中に放った。
戸籍表が燃えカスになったのを確認して大天狗の元へ戻った。

「アイツは結局、私に一度も謝罪していません。死んでからもこうやって周りに迷惑をかける最低最悪の屑天狗です」
「そうね」
「だから絶対に許しません。極悪非道の天狗として一生、私は奴を語り継ぎます」
「一応、戸籍表は残すっていう誠意は残してるんだし、そこまで貶めなくてもよくない?」
「戸籍? それならアイツが大昔に燃やしてしまったじゃないですか。全てを隠ぺいするために。全くとんでもない悪人です」

棒読み声でそう切り返した。

「分かった。被害者のモミちゃんがそう言うなら、そういう事にしておきましょう。でも本当に良かったの? 犬走※※※が存在していたという確かな証だったのに」
「では大天狗様が覚えていてください。かつて※※※という白狼天狗の子がいて、今は犬走椛としてココにいる事を」
(モミちゃんが男の子だったら、確実に惚れてたんだろうなぁ)

毅然として告げる椛に、世の中ままならない事だらけだと、ため息を吐く大天狗。

「んでもって結局、殴られ損か」
「 ? 」
「なんでもない。コッチの話。あーー早くイイ男と出会いたい」
「大天狗様も、いい加減に妥協しては? 案外、一緒にいるとウマが合うということ…」

<大天狗さまぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!>

山彦になって何かが聞こえてきた。

「ナニ今の? サイレン?」
「違うと思います」

直後、大天狗の部屋の襖を何者かが勢い良く開け放った。

「治ったのでお約束通りお茶をしに参りました!!」

包帯を頭に巻き、病人服姿の、かつて保守派を率いていた女性天狗が大天狗に向かって飛び込んできた。

「ああこの香り。紛れもなく夢にまで見た大天狗様!」
「アンタ頭蓋骨陥没していつ眼を覚ますかわかんないって診断されたんでしょうが! なんで目覚めてんのよ!?」
「大天狗様に再びお会いするためなら、地獄を焦土にしてでも舞い戻る所存ですわっ!!」

その風貌からして、ついさっき目覚めたのだろう。そして意識を失う前に大天狗が言ってた言葉を思い出し、文字通り飛んできたようだ。

「気色悪い、離れろサイコレズ!!」
「連れませんわ!! 『治ったらお茶を飲み来い』と仰ったじゃありませんか!?」
「その病気も治してから来い!」
「病気ではありません! これは愛です!!」

「当分は退屈しなさそうで良かったですね」

巻き込まれては大変だと、椛はそそくさとその場を離れる。

屋敷の門を潜った時。

「主(ぬし)様ぁーーー!!」

三人の小さな影が駆けて来た。

「ややっ! 姉者! 犬走殿ですぞ!」

眼鏡を掛けた少女と双子の少女、計三人の白狼天狗の子供が門の前で止まり、息を整える。

「主様を見かけませんでしたか!? 先ほどお医者様からお目覚めになったと聞き、診療所へ駆けつけたら姿を消していて!」
「心配いりません。中で大天狗様と思い出話に花を咲かせていましたよ」
「そうでしたか」
「どうしますか姉者? 倭ぁ達は帰りますか?」
「ふむ、そうするか。では犬走様、失礼します」
「ところで貴女達」

椛は彼女らを呼び止めた。

「哨戒部隊に配属されるのは何年先ですか?」
「二年後になります」
「縁があれば私の部隊で会いましょう」
「はい!」

元気に返事をすると、彼女らは駆け出して行った。

(教官をしてみるのも、良いかもしれない)

彼女らのような人材育成に貢献するのも悪くないと考えながら、椛は詰所に戻った。














夕方。詰所前。
椛とその部下の青年白狼天狗は、木刀を手に激しい剣戟を繰り広げていた。
椛に挑んだ青年があっさり負けて終わる、というのが毎日の光景なのだが、この日はわずかに違った。

「はぁ!!」

青年の気合が篭った掛け声の後、二人の動きがピタリと止まる。
椛の木刀は青年の首筋に。青年の木刀は椛のスネの位置で止まる。

「これって一応、相討ちですよね?」

青年は、まるで宝くじにでも当選したかのような、目の前の状況が信じられないといった表情をしていた。

「んなワケねーだろ!」
「真剣での戦いならお前は首落とされて、隊長は足を負傷しただけだろうが!」
「そーだそーだ! 一度のマグレ当たりで調子に乗んなっス!」

見物していた他の隊員から野次が飛ぶ。

「これは木刀の勝負だ。そもそも真剣での勝負なら私は二度と戦えない身体だった。よって相討ちだ」

頷き椛は木刀を引き、青年を見つめた。

「今までで一番覚悟のある振りだった。腕を上げたな」
「…隊長、俺」

形はどうであれ椛から一本取れたという喜びと、認められたという誇らしさに、感極まって彼の目が潤む。

「ほぼ毎日、飽きもせず隊長にボコられてたもんな」
「根性だけは認めてやるよ」
「まぁ、自称斬りこみ隊長語るんならこれくらいやってくんねぇと」

遠まわしに彼の努力をたたえる隊員達。

「隊長、俺もっと強くなります! たったこれだけの期間で隊長から一本取れたんです、いずれ隊長を軽く捻られるくら…」

彼の頬を何かが亜高速で通り抜けた。数瞬遅れて、頬の産毛がハラハラと落ちる。

「そうかそうか。私を軽く捻りたいか、なら次からはこれで相手をするとしよう」

木刀を持っていない方の手、正確には右手の袖口から何かが垂れ下がっていた。

「あまり誇れることじゃないが、剣よりも暗器の方が得意でな」
「分銅鎖、だと?」

分銅に鎖を繋いだ凶器を手に、椛は爽やかに微笑む。

「いつか、今の私からでも軽く一本を取ってくれると信じているぞ」

振り子のように数回揺れてから、蛇のように鎖がうねりだす。

「すんません! ごめんなさい! 嬉しくて調子に乗ってました、だから……ぎゃぁぁぁ!!」

予測不可能な軌道で分銅が迫った。

「死なない程度に頑張れよ!」
「隊長に期待してもらえて羨ましい限りだ!」
「死んだら骨くらいは拾ってやるっス!」」

その光景に他の隊員たちは手を叩いて囃し立てる。

椛の部隊はそれなりの所帯である。
こうしている今、哨戒に出て見回りしている者もいれば、詰所で休憩する者、空き時間に勉学に励むもの、訓練に打ち込む者、ばれないようにサボる者、家で休暇を楽しむ者。
様々な者たちがいるが、椛の隊長継続によりこの日常がまだ続くことを、全員、心から喜んでいた。
















夜。椛は自宅の縁側で、文と酒を酌み交わしていた。

「お疲れ様でした文さん、ずいぶんとコキ使われたみたいですね?」
「いやはや全く。今日までろくに休憩を取る事もできませんでしたよ」

発電所建造に関わる一件で、その内情をよく知る文は、その処理に駆けずり回された。
今日でひと段落した事もあり、ようやく椛に会いに来る事が出来た。

「しかし今回の一件で、大将二人にかなりの恩と名前を売ったんじゃないですか? 守矢派だった連中は軒並み地位をはく奪されたみたいですし、次期幹部に…」
「昇級の件でしたら辞退しましたよ」
「なぜ?」
「まだ自由でいたいんです。今の立場じゃないと出来ない事が沢山ありますし」
「よく辞退を許してくれましたね。抜けた穴を埋めるためにも、文さんのような人材を欲しがると思いますが」
「そのワガママを通すために、今回の功績はチャラにしてもらいました」
「そうまでして何がしたいんです? 部下や領地、褒賞を手放すに値することですか?」
「幻想郷にはいろいろな勢力や種族が渦巻いています。今の内に人脈や意思疎通が出来る相手を作っておかないと」

高官天狗の看板を背負っては、それは出来ないと文は思っていた。

「八方美人は懲り懲りだったのでは?」
「貴女が美人と呼んでくれるなら、もうしばらく八方美人でいるのも悪くありません」
「無理しないでくださいよ。貴女は冷静そうに見えて、ここ一番で思い切った事をするので放っておけない」
「危なっかしいのは椛さんも同じでしょう。今回は運が良かったものの、下手したら死んでましたよ?」

咎めるような強い口調で言った。

「反省してます。もうしません。先輩からも釘を刺されましたし」
「会ったんですか?」
「夢だったのかもしれませんが。しかし、あれは紛れもなく私の知る先輩でした」

自分はこの世界から、それほど嫌われていない事を教えてくれた。

「貴女がそう言うのなら、それは間違いなく先輩さんだったのでしょう」

話しながら文は立ち上がり、椛の正面に立った。

「さてと椛さん、今、私の事を『放っておけない』と言いましたね?」
「言いましたが?」
「今の貴女にとって、私って何ですか?」

後ろで手を組み、顔を寄せる。明らかに何かを期待していた。

「親友、じゃ駄目でしょうか?」
「………ふむ。まぁいいでしょう」

少し心残りがある表情をしてから顔を離す。

「初めて会った時は気に入らない奴。そして今は親友。次に同じ質問をした時、なんとお答えしてくれるか楽しみにしています」

無邪気に文が笑う。
この表情こそが、彼女の自然体の笑みなのだろう。とても綺麗だと椛は思った。

「おや、その顔。ひょっとして私のスマイルに魅せられちゃってる感じですか?」
「それなりに素敵な表情だとは思いますよ」
「お、これは好感触。今ならキスぐらい、頼んだらさせてくれたりします?」
「また殴り倒されたいんですか?」
「あややや。これは手厳しい」























翌日の朝。
椛の自宅からわずかに離れた場所。
河童の大工達が適度な長さに切った材木を、石で組まれた基礎の上に立てて、家の骨組みを造っていた。

「まさか隊長職を一回やっただけで、新築を建てる額が溜まるとは」

椛は大工達が休憩に使うゴザの上に座りその様子を眺めていた。大工は全員作業中のため、そこにいるのは椛だけである。

「こんなことなら、もっと早く隊長になっておけば良かった」
「これからも続けるんだろう? なら良いじゃんか?」

作業に加わっていたにとりが休憩所にやってきた。

「すみません。破格の値段で設計から施工までやっていただいて。土地代で結構な出費だったため、助かりました」
「なに、友達割引さ」
「それなのに色々と口出しするのは大変心苦しいのですがね」

休憩所の壁に貼ってある完成図を見る。

「玄関に描かれている『ヒグマロボ(迎撃システム)』とは一体なんですか?」
「セキリュティを強化しようと思ってね。ドアを指紋と網膜認証にして、登録にない者がドアを開けようとすると、ドアが開いてヒグマロボが先制の溜めパンチをお見舞いするって寸法さ」
「宅配や回覧板持ってきた人が死ぬじゃないですか」

根気強く説得し、通常の戸にしてもらった。

「そうそう、これは私からなんだけどさ」

にとりは別の設計図を広げる。

「隊長を継続するんでしょ? 隊長が平隊員と同じ支給品を扱うのも格好がつかないと思ったから」

そこにはにとりがデザインした剣が描かれていた。

「形状や刃渡りは正規品とほぼ同じなんだけど、地金と柄の握り材質を変えようと思って、どうかな?」
「…」

しばらく椛はそれを眺める。

「反り具合はこのままで、刃渡りをもう一寸伸ばしてください。あと柄に重心が集まるようにして頂ければ、とても扱いやすくなるハズです」
「うん、任せて。それと剣の銘はどうする?」
「銘、ですか?」
「うん。やっぱりオリジナルなんだから、名前を付けないと。私的には『菊イチ門痔』がオススメだよ」
「叩き割りますよそんな名前にしたら。しかし銘ですか…」

椛の頭に、一つ名前が浮かんだ。

「※※※という名前はどうでしょう?」
「女の人の名前だね」

最近の年代の子供にはあまり付けられない、何世代か前の系統の名だと、にとりは思った。

「わざわざ愛刀の名前に使うって事は、その名前の人に何か思い入れでもあるの?」
「記録には残っていませんが、この世に確かに存在した、白狼天狗の少女の名です」

椛は以前、ダム騒動で何があったのか、気持ちの整理がついたら語る事を約束していた。

「訊いてもいいかな?」

椛の真剣な面持ちから、ようやくその時がやって来たのだと理解する。

「少し長くなりますがお付き合いください。犬走※※※という。白狼天狗の話です」

幼少の頃から現在に至るまでのことを、椛は語り出した。




















この日、椛は守矢神社を訪れていた。

「いらっしゃい。よく来たね」

守矢神社の本殿にいるのは神奈子だけで、諏訪子と早苗の姿は無い。

「どうですか、初めての敗北は?」
「そうね」

気を抜けば半透明になる手を神奈子は見つめる。

「お前さんはすごいな。こんな悔しい思いを、数えきれないほど経験してきたわけか」
「敗北は悔しいだけじゃありませんよ。痛くて辛くて、喪失感に恐怖、未練と恨み、それらを同時に味わうんです」
「これでも傷が浅い方なのね。ダム建設で揉めた際、敗者の念に触れてたけど、まだまだ深かったのね」

井の中の蛙だったと自嘲した。

「お望みなら、次こそは私と同じ痛みを教えてあげますよ。不敗神話の崩れた軍神など恐るるに足りませんから」
「いえ、しばらくは大人しくしているわ。支配や計略は当分休業よ」

その当分が神様の感覚で何年先なのかはわからない。

「負けたって自覚があるなら、詫びの一つでも欲しいですね」
「詫びたいけれど、生憎と素寒貧でね。何も渡せそうにないわ」
「物は結構です。落ち目の神様からの贈り物なんて、縁起悪い」
「じゃあ今この場で土下座すれば許してくれるのかしら?」
「人様の故郷を水溜りに沈めて、戦友や同胞を散々侮辱して、私自身、何度も命を落としかけてるんですよ。それで済むとお思いで?」
「今は頭を下げる事しか、やれることが無いわ」
「土下座はしてもらいます。ただし、時と場所は私が選びます」
「どういう事?」

怪訝な顔の神奈子に向け、指を一本立てた。

「たった一回で構いません。私が『土下座してください』と言った瞬間に、そこが泥沼だろうと、便所だろうと、大勢が見ている場であろうと、絶対に土下座してください。それで結構です」
「それで結構ですって、私達神にとって、それがどれだけ致命的なものかわかってるの?」

信者の前で、白狼天狗に土下座などしたら、信仰はだだ下がりである。
信者の前でなくても、その時の状況によっては、自身の精神を揺るがす屈辱を与えられるかもしれない。

「処刑されても文句言えない敗北の将に対して、たった一回の土下座で、チャラにしてやるって言ってるんです。これ以上に破格な贖罪はありませんよ羨ましい」
「………わかったわ。結びましょう」

その後、特殊な儀式を介してその約束は結ばれた。それにより、その約束は破ることのできない絶対の契約となった。

「この約束がある以上、私が生きてる内は、下手な考えは起こさない方が身の為ですよ?」
「だから大人しくしてるって言ってるでしょう」
「信用できませんね。貴女みたいな神様の言うことなんて」

約束の内容が書かれた契約書を懐に仕舞い本殿を出ようとする。

「貴女は天魔様と大天狗様に敗れたんじゃありません。貴女が侮辱し、歯牙にも掛けなかった者達の想いに負けたのです。努々(ゆめゆめ)、お忘れなきよう」
「刻んでおきましょう」

最後にそれだけを伝え、椛は本殿の扉を閉めた。









椛が去ってすぐ、諏訪子が本殿に入ってくる。

「ずいぶんとギッタギタに言われたみたいだね」

普段と変わらぬ風を装ってはいるが、長い付き合いのため、参っていることくらい簡単にわかった。

「一つくらい言い返しても良かったんじゃない?」
「私が今まで負かしてきた連中は全員、私が出した条件と悪罵を全て受け止め飲んだんだ。私もそうしなければ、神としての格が下がる」

そういう意地を別の所に向ければ、もう少しマシな神になれるだろうにと、諏訪子は思った。

「んで。問題はこれからどうするかだ。発電所に全財産つぎ込んで全部無駄になったんだ」

天狗の温情で、報復も賠償請求もしてこないらしいが、先立つものが何一つ無い。

「現世(うつつよ)に追いやられて幻想郷に移ったというのに、まさかここでも追いやられることになるとはね」
「まだ、なんとでもなるかと思います!」

早苗が紙の束を抱えながら、急ぎ足で入って来る。

「悪いけれども早苗、今は大事な話をしている。後に…」
「毎週何度も人里を訪れて信者になってくれる方を増やしてきましたし、博麗神社の宴会にもいつも顔を出して、力を貸してくれそうな方とも知り会えました。まだまだ私達は盛り返せます!」

分社の設置を許可する覚書の束を神奈子の前に置く。束の全てに印鑑が捺されている。

「他にも、お札や御守、神棚の依頼もたくさん取り付けて来ました。お金も信仰もガッポリです!」

人差し指と親指をくっ付けて、丸を作り、神奈子に向ける。

「おい、これでも替えが効く存在だなんて言えるか?」

意地悪い顔で諏訪子が問う。

「そうね。今までお飾り扱いしていたのが勿体無かったわ」

その言葉を聞き、諏訪子と早苗は互いの両手を合わせる。

「いずれこちらも、外の世界のように、大量の電気を必要とする時が来るでしょう。それまでは天狗と仲良しごっこをするのも悪くない」
「私と戦争の手打ちをした時も、そんな事を言ってたっけな?」
「まずは誠心誠意謝りましょう。なんなら友好の証として結婚とかもしちゃいますから! 椛さんとか! 椛さんとか!! 椛さんとか!!!」
「それは待て早苗!!」
(二本なら容易く崩れても、三本の柱なら、すぐに崩れることはないのかもしれないわね)

折れるも残るも、全て彼女たち次第である。

















守矢神社の石段を降りると、文とはたてが待っていた。

「どうだった?」
「少しだけ胸がスッとしました」
「それは良かった」

三人並んで歩く。

「神奈子に言いたい事言ったら、なんだか色々と解放された気分です」
「守矢のことで頭が一杯でしたからね」
「そういえば巷で、またなんか騒ぎが起きてるみたいだよ? 巫女も動いてるみたいだし、異変かも?」

首を突っ込んでみる?というはたての問いかけに、椛は首を振る。

「危険そうなのは、当分ごめんです。しばらくはゆっくりしてます」
「じゃあ温泉とか?」
「ナイスアイデアですよはたて! どうですか椛さん!」
「これから寒さも本格化しますし、良いかもしれませんね」
「やったー! 良い宿知ってるんですよ私!!」

喜びはしゃぐ文。そんな文を見て、呆れつつも満更でもない様子の椛。それを見て苦笑するはたて。
三人はようやくいつもの構図を取り戻した。

「椛の新しい家はいつ頃出来るの?」
「あと一月もあれば」
「楽しみですね」
「しかし、この私が新居だなんて、まだ信じられません、未だにこれは夢なんじゃないかって気がしてなりませ……いだだだだ」

左右から頬を抓られる。

「大丈夫、現実です」
「本当の事だから大丈夫だよ」
「だからって抓むことないでしょう。左右同時とかどんな懲罰ですか」

頬を摩りながら唇を尖らせる。

「御柱を壊すために命を捨てようとした事。すごく怒ってるんですからね?」
「うん」
「……ごめんなさい」

もう自分だけの命ではないのだと、椛は実感した。





少し進むと、守矢神社によって作られたダムの傍までやってくる。
自然に三人の眼が、慰霊碑に注がれる。

「手を、合わせておきましょうか?」

文がそう提案すると、二人は頷いた。


三人は慰霊碑に黙祷を捧げる。
文とはたてが終えても、椛はまだ目を閉じており、その姿勢のまま五分、十分と時間が過ぎていく。
祈り始めてから十五分経ってようやく椛は目を開けた。

「すみませんでした。私だけ長々と」
「いえ、構いません」

椛の心中を察すれば、十五分ではとても足りないと思えた。

「私はたまたま運が良かった。どこかで一つ、何かが違っていたら、きっと向こう側にいたんだと思うと、なかなか止められなくて」

椛はダムの壁に背中を預け、見上げる。あたりの木は落葉を終えて、冬支度を始めていた。

「ことある毎に、白狼天狗として生まれて来たこの身を恨み、悔やんできました」

生まれが全ての元凶だと、呪った。

「でも今は、そんな事はこれっぽちも思いません」

椛は柔らかく笑う。

「白狼天狗として生まれて来て良かった。こうして貴女達に会えたのですから」

犬走※※※の亡霊として存在し、その日その日を惰性で生きていた白狼天狗はもうどこにもいない。

「…」
「…」

文とはたては言葉を失った。
二人は、椛を救う方法をずっと探していた。
それは未だに見つかっていないが、今、その鱗片が見えた気がした。

(これからも傍に居て、心を通わせよう。椛がいつか自分自身を肯定して、許せるように)
(これからもずっと愛していこう。椛さんが自分自身を愛せるように、自分の命が尊いモノだと気付けるように)

その道を進んでいけば、いつか求めていたモノに辿り着ける気がした。

「これはなんとかなりそうですねはたて」
「そうだね文」

お互いに考えている事がわかって、二人は不敵に笑い合う。

「どうしたんですか? 何か良い事でも?」
「はい。とびっきりの特ダネです!」
「うん。永久保存モノのビックニュース!」

壁に背中を預ける椛の手を二人は取る。

「なんですか一体?」
「嬉しくなると、無性に走り出したくなりません?」
「喜んで庭駆け回らない?」
「雪が降った時のイヌじゃあるまいし」
「そんなの関係ありません! 走りましょう!!」
「レッツゴー!!」
「ああっちょっと!?」

二人に手を引かれ犬走椛は走り出す。

落葉した紅葉に彩られた山道が、三人の進む先に広がっていた。

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コメント

執筆お疲れさまでした!
こんな傑作小説読めて幸せです
新作くるまでなんかい読み直したか自分でもわかんないです
内容云々いってしまうと日が暮れるどころか朝が来ても終わりそうにないので自重しますw

この度は素晴らしい小説大いに楽しませていただきました!

また気が向いたらで良いので、新作楽しみに待ってますー(⌒〜⌒)

  • 2014/11/20(木) 02:58:02 |
  • URL |
  • LICE #-
  • [ 編集 ]

「すみません。覗き見するつもりはなかったのですか」
か→が
どうやら東方創想話に凄い方がいらっしゃったようで……私の出る幕はなかったようです(笑)


お気に入りの作品が終わってしまって悲しいですが、新作を期待して待っています
とても面白かったです。お疲れさまでした。
そしてありがとうございました。

  • 2014/11/20(木) 21:00:23 |
  • URL |
  • F15 #k9MHGdfk
  • [ 編集 ]

Re: タイトルなし

LICEさん

ここまでお付き合いくださって本当にありがとうございます!
何度も読み返していただけたなんて感激です!!

次回作も、同じくらい面白いと感じていただけるモノを目指します!

  • 2014/11/20(木) 21:21:30 |
  • URL |
  • 木質 #-
  • [ 編集 ]

Re: タイトルなし

F15さん

誤字脱字を教えてくださり、本当にありがとうございます。11話、12話ともに全て修正致しました。
非常に有難いです。いつか書籍にしようなんて時に、誤字だらけでは示しが付きませんし。

多数のコメントにいつも励まされました。
新作も精一杯頑張ります!

  • 2014/11/20(木) 21:32:20 |
  • URL |
  • 木質 #-
  • [ 編集 ]

椛がこれから幸せな道を多くの者と歩いていく、そんな姿が見られて私はとても嬉しいです。
執筆お疲れ様でした、新作楽しみに待っています。
PS イヌバシリさん書籍化するんですか?
もし書籍化したら何があっても買います!

  • 2014/12/02(火) 03:20:18 |
  • URL |
  • KNR #-
  • [ 編集 ]

Re: タイトルなし

KNRさん

ここまでお付き合いくださって、本当にありがとうございました。
次回作も、楽しんでいただけるよう精進します。

書籍化の話は、やることが決定したら、ここで真っ先に告知いたします。
文量が量だけに、じっくり考えたいと思います。

  • 2014/12/02(火) 22:09:21 |
  • URL |
  • 木質 #-
  • [ 編集 ]

レポートが終わらない椛好きの友達に深夜、イヌバシリさんのURLを送りつけたら翌日肩を殴られました。
二週したそうです。
モコモコ王国から楽しませていただいております。イヌバシリさんシリーズ完結おめでとうございます。
最後でラフメイカーネタがくるかと個人的にわくわくしていたのでちょっと残念。
作中で何度も出していましたがBUMP OF CHICKENお好きなんですか?私はハルジオンが好きなんですが
他に木質さんの好きな曲はありますか?

  • 2014/12/11(木) 12:46:51 |
  • URL |
  • ひひひのひ #-
  • [ 編集 ]

Re: タイトルなし

ひひひのひさん

ありがとうございます。椛好きの友人さんには申し訳ないことをしてしまいましたね。

1話目の投稿時、ラフメイカーとヒグマの溜めパンチで話題になったのが、このSSですから、
最後もその2つで締められれば良かったです。
BUMP OF CHICKENは学生の時、よく聞いていました。
『プラネタリウム』とか『カルマ』、『車輪の唄』はMDに入れて帰り道、聞きながら家路についたものです。

次回のSSも頑張ります!

  • 2014/12/11(木) 22:58:03 |
  • URL |
  • 木質 #-
  • [ 編集 ]

お疲れ様でした

イヌバシリさん シリーズが大好きで創想話で知ってから何度もこちらで読みふけっています。

特に天狗三人組を筆頭とした登場人物達の立ち位置等が絶妙でこの12話まで何度も繰り返し読んでいました。

話の区切りとして今回終わってしまうのが非常に残念で仕方ありませんが、楽しい一時をありがとうございました。

今後、貴方様の世界観で書かれました新しい東方話(出来れば「天狗三人組の続編」)が読めることを心待ちにしています。

  • 2014/12/20(土) 07:10:20 |
  • URL |
  • オセンベイ #-
  • [ 編集 ]

Re: お疲れ様でした

オセンベイさん

このSSに登場する、椛、文、はたてにお付き合いくださり、本当にありがとうございます。
天狗三人組、私もかなり愛着がわいており、今後、面白そうなプロットが浮かんだら、短編でその後の三人組を書く事があるかもしれません。
その時は、またよろしくお願いいたします。

  • 2014/12/20(土) 19:33:14 |
  • URL |
  • 木質 #-
  • [ 編集 ]

新年おめでとう御座います!

遅ればせながら、最終話拝読させていただきました。
まだまだ課題はありながらも、出演キャラほぼ総出での大団円で、読後の余韻まで十分楽しめましたが、反面、やはり終わってしまうのが残念で仕方無く、凄く複雑な心境です。
往生際悪く、外伝的な何かを期待しつつも、別シリーズも楽しみにしておりますので、御無理の無い範囲で執筆なさって下さいませ。
それでは、本年度も宜しくお願いいたしますmm

Re: 新年おめでとう御座います!

ぱらボらさん

ご多忙の中、読んでくださりありがとうございます!!
今までずっと応援してくださったおかげで、一つの区切りを迎えることができました。
機会があれば、短編のような形で、後日談をやってみたいと思っています。
本年もよろしくお願いします!

  • 2015/01/04(日) 11:48:47 |
  • URL |
  • 木質 #-
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